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今月のことば

2018年2月号

熊本県の柔道を考える

河津修司


 熊本は平成28年4月に、2度も震度7以上の地震が発生して死者(関連死を含む)247人、全半壊家屋4万3千棟など大変な被害が出ました。気象庁によると、同じ場所で震度7が2回起きたのは史上初めてで、未だに2万1千人以上の人が仮設住宅で暮らすなど復旧、復興は道半ばです。br>  熊本県柔道協会事務局が入っている県武道館も被災し、柔道場も天井が落ちるなどして2年間も使用できない日々が続きました。また、全国大会でたびたび優勝、入賞した伝統ある鎮西高校や他の中学校、柔道クラブも体育館や道場など数々の施設が被災して使用不能となり、生徒たちは、長い間練習ができない日々が続き、その後も空いている練習場を渡り歩く状況でした。
 そんな時、全国各地の柔道連盟(協会・会)や柔道関係者から400万円を超える支援金やお見舞を頂きました。頂いた支援金は被災した学校や道場に寄付したほか、地震で壊れた協会の壁の修理や備品購入などに使わせて頂きました。ご支援頂いた皆様にこの誌面をお借りしまして、改めまして心からお礼を申し上げます。

 私は阿蘇地方の山奥に住んでいますが、年末の恒例行事は江戸時代終期からある我が家の墓35基と大先祖の墓を掃除して、各々の墓に松、竹、梅(ゆずりは)をお供えして正月を迎えることです。先祖は静岡県伊豆地方の出身で鎌倉時代、蒙古襲来のときに九州防衛のため北条家のお供をしてこの地に来て、そのまま居着いたと言われています。相撲の技で、柔道では禁止になって久しい技ですが「河津掛」の名手、「曽我物語」の河津祐泰の流れをくむといわれていますが確たるものはありません。しかし、この大先祖の墓に由来が刻まれているので、私たちの集落にいる河津姓の者はそれを信じて疑わず、毎年先祖祭りを行っています。また、柔道を心底好きな者が多いのも事実です。
 柔道を始めたきっかけは、地元の中学校に進学する際に、小さい頃からあこがれていた相撲部が中学校に無く、野球部か柔道部に入ろうかと迷っている私に、隣家の1歳上の先輩が柔道部に居て、「野球部では補欠は3年間球拾いだけど、柔道部では1年生でも3年生を投げ飛ばしてもいいんだぞ」との誘い文句につられて柔道部に入ることになりました。
厳しい稽古の連続でしたが私は柔道部を辞めませんでした。それは先輩たちがやさしく丁寧に指導してくださったからです。高校に進学しても、同級生や先輩に恵まれ、楽しく柔道を続けることができました。その時の恩師は私の前任の協会長、中林厚生先生でした。私は地元の柔道協会支部長を30年続けていましたが、それほど柔道に深く関わってきたわけではありませんでした。しかし、恩師から後任はお前がやれと言われれば、いやとは言えず引き受けました。農業高校卒業で浅学菲才の身で、しかも柔道の成績も県でベスト8止まりの私ですが、引き受けた上は精一杯努力して参る覚悟です。
 今回協会長になって改めて、実に柔道に熱心に取り組んでいる人、自分の時間を削ってまさに柔道に命を懸けているといっても過言でない人たちの多いことに、誠に頭が下がる思いです。そういう熱い心を持った人を増やし、若い者に引き継ぐことが大事ではないかと思います。
 県武道館が修理中は、それまで毎年行っていた熊本県武道祭も開催できませんでしたが、昨年ようやく3年ぶりに「くまモン」も参加して賑やかに開催することができました。
 熊本県柔道協会は昨年創立70周年を迎え、県武道祭の式典開催と日が近かったので内輪だけの祝宴としましたが、温故知新、ここで改めて熊本柔道の歴史を振り返ってみたいと思います。
 熊本は肥後武士の育った尚武の地であり、江戸時代から細川歴代藩主の文武奨励によって柔術が盛んで、明治維新後は新しい型を取り入れた柔道に変革していきました。
 講道館創設者の嘉納治五郎師範が明治24年から1年半、第五高等学校(現熊本大学)の第3代校長として熊本に赴任。「熊本講道館」をつくるなど柔道を奨励し、まさに今日の熊本の柔道の基礎はこの時につくられたといえます。その後、明治、大正、昭和の戦前まで各時代の名人達人のもとで多くの若者が鍛えられ数々の猛者連が生まれ、その中でも「鬼の牛島」と恐れられた牛島辰熊氏、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と称えられた木村政彦氏などは熊本を代表する偉大な柔道家です。
 日本の武道振興と精神教育の柱となって全盛を誇った学校柔道は、戦後進駐してきた連合軍によって禁止されましたが、民間の社会体育としての柔道は認められ、熊本では昭和22年2月、有段者だけでなく愛好者を含めた熊本県柔道協会を宇土虎雄初代会長のもとに発足させました。それを契機に中学校、高校、県警察が徐々に力を伸ばし、30年から50年代にかけて各種全国大会で団体、個人で優勝、または入賞を果し、柔道王国熊本の名を欲しい侭にしてきました。上村春樹講道館長、山下泰裕全日本柔道連盟会長はその時代を代表する選手であると同時に、偉大な指導者であり熊本の誇りであります。
 現在放送中のNHKの大河ドラマ「いだてん?東京オリンピック噺?」は熊本県和水町出身の日本初のオリンピック選手である金栗四三氏が主役ですが、嘉納治五郎師範も準主役級で取り上げられています。金栗氏と嘉納師範ともにテレビやマスコミで取り上げられることが多くなり注目されるでしょうから、これを契機に嘉納師範と熊本との深い関わりがあること、そして熊本の柔道に果した功績を紹介していきたいと思います。
 来年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。柔道競技でのメダル量産が期待されることでしょうが、選手の皆さんにはプレッシャーに負けることがないように頑張ってもらいたいものです。その中に熊本県に関係する選手がいれば光栄に思いますし、私たちもしっかり支援をしていきたいと考えています。
 協会長になってもうすぐ2年になろうとしています。伊東隆理事長が中心となり柔道協会の組織改革が行われ、実務を担う理事を増やし、現場主義に徹した運営をやっていこうとしています。柔道王国熊本を担うには少々荷が重いですが、「精力善用」「自他共栄」の精神で熊本柔道の発展、振興を目指して誠心誠意努力していく所存ですので、各方面からのご助言、ご指導、ご協力を賜りますようよろしくお願いいたします。
                             (熊本県柔道協会会長)

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