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今月のことば

2022年4月

持続し発展可能な未来のために思うこと

黒田一彦


 年度に当たり貴重な機会を得ましたので、柔道に携わる者の1人として、これからもキーワードになるであろうことについて述べたいと思います。
1.日本柔道を支える伝統的な層の厚さについて
 今後、あらゆる意味でレガシーになると考えられる「東京2020オリンピック・パラリンピック」が、コロナ禍という逆境に晒されながらも、1年間の延期や無観客開催等の異例の対策を講じて、重大インシデントを発生させることもなく成功裏に幕を閉じました。時の流れは速いもので、昨夏の大会が懐かしく感じられる今日この頃です。また、当該大会の成果は、世界スポーツ全体の更なる発展に寄与したと確信しているところです。なかでも特筆すべきは、柔道競技で日本が史上最多となる14個(団体戦、パラリンピック含む)のメダルを獲得するという抜群の活躍と好成績を収めたことであります。この要因は様々なことがあるでしょうが、中核的なものの1つに日本柔道の支柱とも言える「層の厚さ」があると考えます。代表選手たちの多くが出身地のスポーツ少年団で柔道を始め、中学、高校、大学、更には社会人と継続するなかで、ライバルたちと切磋琢磨できた経験と、充実した指導を受ける環境に身を置けたこと、これが「層の厚さ」につながっているのではないでしょうか。
  この「層」を一層厚くし充実・継続していくことは、将来の日本柔道を支えていく上で最も重要な課題の1つであり、皆で真摯に取り組んでいかなければならない骨格であると改めて思いを馳せているところです。
2.全指導者のあるべき姿について
 山形新幹線の車内がまだ喫煙可能な頃のことですので随分前になりますが、用件があって上京しようとした時のことです。山形駅のホームで電車を待っていると、傍らで多数の人たちから囲まれ見送りを受けている方がいました。僧衣を纏ったその身なりや仕草から、位の高そうな僧侶と思われ、見送りの皆に対して丁寧にお礼を述べながら、そろりそろりと車内へ乗り込んだのでした。座席は平日だったこともあり空席が目立ち、その方は私の左斜め前方席に座ったのですが、電車が発車し見送りの人たちが見えなくなった途端、前の席を回転させ、履物を脱ぎ捨ててその席に勢いよく両足を投げ出したかと思うと仰け反るような姿勢になったのです。そして鞄から取り出した缶ビールをあおり、もう一方の手で咥えた煙草に火を付け、顎を突き出して吹き上げるように紫煙を燻らせ始めたのでした。その姿からは、ホームでの厳かな雰囲気は微塵も感じられず、あまりのギャップに唖然とし、思わず苦笑したことを覚えています。勿論、そもそも車内はくつろぎの場でもあり、飲酒や喫煙(当時)を非難するわけではありませんが、おそらくこの方は、依頼を受けるなどして、相当数の人前で気高い説法を唱え、皆に尊崇の念を抱かせ、それなりの社会的地位を有しているのではないかなどと想像すると、目の前での思いがけない行動に少なからず違和感を覚えたのでした。
 翻って、自らの足下を見つめ直したとき、柔道家(社会人)としてあるいは指導者として、他人が見ているいないに関わらず、これに相応しい行動を示しているのか、今でもこの光景を時々思い出しては、自問自答している次第です。今更という意見もあるでしょうが、各々の行動や指導を振り返ったとき、得手勝手な解釈で悪弊となった横柄な行動を繰り返したり、あるいは言葉遣いも粗く威圧的で、恐怖感や不愉快な印象を与えたりしていることにも気付かないなど、当たり前でない指導が当たり前になり過ぎ、自分を見つめ直すことや戒めることすらも忘れてしまっていないでしょうか。限られたわずかな指導者等のあらぬ姿や行動によって、柔道界全体が同一視され、誤解を招き信頼度を低下させてしまう可能性も否めません。このようなことを考えるとき、指導者として相応しい姿勢や言葉遣い等を保つことは簡単なようで、実はしっかりとした気構えを保ち続けなければならないという、非常に難儀なことなのかもしれません。だからこそ、一人ひとりがこのことをよくよく踏まえつつ、衆人環視の大会だけに限らず、どんなときにでも裏表のない正しく相応の姿勢を体現していくことが、柔道界に真の成長をもたらす一翼を担うことになるのだと思います。
 私たち柔道家は、強さの追求に加え忘れてはならないものがあります。それは嘉納師範が究竟の目的とされた「己を完成し世を補益する」という教えであり、これを探究していくことこそが柔道修行至高の目標でありましょう。柔道は「受身」を体得することから始まります。勝負の世界で受身を取ることは負けに繋がります。敢えて投技の前に負けたときの受身を教えることは護身に留まらず、相手に敬愛の念を持ち、人の痛みをまずもって学ぶという「人づくりの精神」が宿っているということに異論はないでしょう。しかし、私たちは決して聖人君子ではなく、様々な欲望や虚栄心を少なからず抱え込んでいる、煩悩具足の生身の人間であることも自覚しなければなりません。このようなことをしっかりと受け止めつつ、公私を問わず葛藤しながらも柔道家として相応しい行動を選択する「心の強さ」「品格」を持つことが、真の指導者としての「あるべき姿」に結び付くのではないでしょうか。
3.高段者の役割について
 六段以上の高段者とは、柔道修行において「心・技・体」が熟達し「日本傳講道館柔道」の段位を授与され、まさに「師範」の域に達した柔道家の称号であります。
 私のこれまでの柔道人生を振り返ったとき、その修行過程において、当たり前のように高段者の方が存在し、直接の実技指導や精神訓話をいただき、柔道の修行とは何ぞや、柔道の真髄とはいかなるものかなど、適時適切な教えがあったからこそ、曲がりなりにも徐々に柔道を理解することができ、今日の自分に繋がっていると今更ながら実感しているところです。
 高段位の上にただ胡坐をかいているだけでは、所謂「宝の持ち腐れ」であります。勿論、加齢で身体が衰え、直接実技指導がかなわないことも否めませんが、紅白の帯を締めた柔道衣姿で道場に出向き、意義ある言葉を掛けるなどの指導でも十分効果があるものです。これまで柔道を通じて人としての大道を伝承いただいたことに感謝しつつ、心ある指導者の一人としてできるだけ存在感を示していきたいと思っているところでもあります。
 以上、つらつらと所懐の一端を述べましたが、一日も早くコロナ感染症が収束することを願うとともに、本来の原点を見失うことなく持続することで一層発展可能な未来を見据え、これからも精進する所存です。
                     (山形県柔道連盟会長)

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