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今月のことば

2020年10月

新型コロナウイルス感染症の
蔓延で思うこと

立川克雄


 8年前、平成24(2012)年4月28日、講道館創立130年記念式典・祝賀会が盛大に開催された。私はその1ヵ月前に新潟県柔道連盟会長に就任し、県代表として緒行事に参加し改めて柔道の歴史の重さを痛感した。
 同年当誌『柔道』9月号の巻頭言への原稿依頼があり、本県柔道の最大の課題である次の2点を中心に寄稿した。
 1つ目は柔道の振興、すなわち柔道人口の増加への「みちすじ」の設定、2つ目は柔道無事故神話の確立、である。
 当然ながら大きな課題であるし、一朝一夕、また本県だけで解決できる問題ではないことは十分理解している。現在も本県役員は、一丸となって目標の実現のために努力を惜しまず、会員ファーストで各種事業を継続しているが、残念ながら現実は大変厳しい状況である。その上今年は、新型コロナウイルス感染症の流行で世界中が大変な状況になっている。スポーツ界では1964(昭和39)年以来56年ぶりに開催予定だった第32回オリンピック東京大会が延期され、また戦後の復興と共に歩んできた国民体育大会も、戦後75年の今年、第75回大会が中止(延期)せざるを得なかった。多くのスポーツの中でも、接触を伴うことが特徴である柔道にとってこの感染症は大きな壁になった。
 本稿では、コロナ禍の終息時に更なる柔道の発展につなげられるよう、私見を述べたいと思う。

 コロナ禍の現状は、平時と異なり制約そのものである。しかし、このような事態の時こそ前向きな考えを持ち、現状でできることは何か、またコロナ禍以前の練習や試合などの柔道活動は果して適正だったのか等、普段の活動や運営の評価などの内容について視点を変えて見つめ直す絶好のチャンスではないだろうか。そのように対応すれば、多少なりとも先が見えてきた時、今までとは違う新たな柔道に出会えるのではないだろうか。
 現在は、国、県、教育委員会、全柔連、高体連、中体連等でのガイドラインと県内各市町村の現状を勘案し、本県柔連としての活動内容を会員へ示しながら、リーダーとして冷静に且つ的確に何がどのようにできるか、自分自身を鼓舞している。
 平成24年から、中学校の武道必修化が始まると共に、県内5会場で開催してきた「指導者柔道安全研修会」も今年で8年目を迎える。柔道経験のある脳神経外科医の講習は事故防止に成果を上げている。「単独練習」を中心とした方法を画像に替え、連続写真を用いた技の要点を「受」と「取」の立場でも分かるようにし、来年の中学校授業でコロナ禍の影響を感じさせないようにすることを目標としている。この事業は、何とか工夫し継続したい。

 強くなりたい。切れ味のある技を身に付けたい。たくましい体と精神力を身に付けたい。柔道を志す人は誰でも思うことである。このことは、ただ単に相手との競争でなく自分自身の純粋な問題である。
 勝利至上主義の弊害が話題になってから久しいが、改善されているとは思えない。
 オリンピックが近づくと、誰が選手に選ばれるか、メダルは取れるか、金メダルは何個かが話題の中心となり、マスコミは勝者や勝敗といった話題性のある方にだけを注目し、その競技の素晴らしさや競技を支えている多くの人には目を向けない。
 それが影響しているのかもしれないが、小学生の柔道選手に目標を聞くと「大会に何としても優勝したい。それだけを考えてきた」と柔道人生の最終目標のようなことを言う。無論目標を持って励むことは良いことである。しかし、勝負に対し必要以上にこだわることは、少年柔道の本質から外れてはいないかと気になるところである。試合では、勝敗に固執する余り、僅差で勝ってガッツポーズをする、相手に反則がいくように見せかけの技を掛ける等が見受けられる。果してこれで柔道の面白み、醍醐味を味わうことができるのか。これからの自分の柔道へ期待感はあるのだろうか、と私は危惧を抱いてしまう。
 最近の試合は組み手争いばかりが目立つ。自分は十分で相手に柔道衣を持たせない、比率で言えば10対0の状態を求める。6対4と自分が有利であっても自分から切って組み直す、互いにこの繰り返しである。試合だけでなく乱取でもこれをやっている。乱取は勝ち負けを争うものでなく、技を磨く場である。互いに組み、技を出す本来の乱取稽古をやらなければ、柔道の技術習得だけでなく、面白みを味わうことができないのではないか。勝負にこだわる傾向は、柔道人口減少に拍車を掛けているような気がする。例えば、柔道クラブに所属していた小学生が中学入学時に柔道部に入らないとか、中学からも同様で高校入学時には柔道をやめるとか、継続を選択するのではなく、早々に見切りを付けてしまっている状況がある。発展途上の少年に対し、勝負にこだわらせ、勝つことを義務づけた結果、柔道本来の面白みが全く伝わらず、逆に柔道から離れてしまう要因を作っていると思う。
 小学生に限ったことではないが、勝ちの宣告を受けてガッツポーズをしている選手がいる。また寝技の攻防において「待て」がかかり開始戦へ戻る際、不必要に相手をまたぐ選手が男子だけでなく女子の選手にもいる。相手に払う敬意や「残心」の精神はなくなってしまっただろうか。
 頭脳と頭脳がぶつかり合う将棋の対戦は、本人が「負けました」と言って終わる。その終わった後に「感想戦」が始まる。その感想戦も負けた方が「ありがとうございました」と言って終わる。両者の立ち振る舞いを見ると、勝者も敗者も奢ったりへりくだったりする姿はない。勝負の厳しい世界であっても、平常なうちに自分を超えた相手への敬意の気持ちが伝わってくる。その両者の姿は美しく、武士道とはこういう姿ではないかと思う。

 柔道の技術の最高傑作は受身と思う。絶対的な安全に裏付けされた受身という技術の修得があって、「崩し」「作り」「掛け」という理論的な技と共に連絡変化など攻防の奥深さが加わり柔道が成立されると思う。
 絶対に怪我をしないことを大前提に柔道は存在している。受身の練習ではしっかりできるが、試合や乱取では受身を取らない者がいる。意識しての受身から咄嗟の判断での受身、無意識での受身ができてようやく乱取稽古ができるものと思う。少なくとも受身を意識的にしないことで怪我をすることは絶対に許されないと思う。

 昨年3月の全国代表者会議において、小学生の大会開催の見直しについて意見が出され、今後の検討課題として終わっている。
 私は、小学生における従来から行われている画一的な大会は見直した方が良いと思っている。小学生は技術習得の状況を考えると、どの年齢層より上達が早く魅力的ではあるが、身体的、体力的に見ても全てが未熟である。学年別・体重別にしたとしても体格差、体重差は大きい。小学生の体格差・体重差は体幹の強さや筋力の差に結びつき、大変危険である。事故につながる「巻く」「乗る」、あるいは投げられた方が「しがみつく」などは厳しく指導すべきである。この時期は体つくり、礼儀作法、身体に負担のない基本技術を中心に練習すべきと考える。発展途上の未来の宝に勝つことを強調した試合で柔道をいやにさせてはいないか。小学生の大会開催について議論を展開する時期にきていると思う。

                          (北信越・新潟県柔道連盟会長)

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