今月のことば
2014年08月
国立競技場と嘉納先生
真田 久
5月末日に行われた国立競技場のファイナルイベントに参加した。朝のファンランを走り、夕方からのサッカー、ラグビーのレジェンドマッチも観戦した。国立競技場のトラックを走り、またブルーインパルスを上空に仰ぐことができ、感慨深いものがあった。この国立競技場は間もなく取り壊されて新しい国立競技場が建設される。そして2019年のラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会のメイン会場に使われることになる。ファイナルイベントでは、スタンドに張られたスクリーンに国立競技場の歩みが映し出された。1957年1月に着工し、1958年3月に竣工、その年の5月に第3回アジア競技大会の会場として使用された。そして1964年10月に第18回オリンピック競技大会、すなわちアジア初のオリンピックがここで行われたのである。真っ青な空にブルーインパルスが描いた五輪の輪を鮮明に覚えている人も多いことだろう。その後も1991年には第3回世界陸上が行われ、カール・ルイスやマイク・パウエルらが活躍した。Jリーグの開幕戦(1993年)や、ラグビー・トップリーグも2003年に始められた。このほか高校サッカー、大学ラグビー、陸上競技のインカレなど多くの競技会が行われ、文字通り、戦後日本のスポーツ界を牽引してきた聖地といえるだろう。その56年間の国立競技場の歴史に幕が降りようとしている。
ところで、国立競技場の前身として明治神宮外苑競技場がこの場所に設置されていたことは今ではあまり知られていない。そもそも明治神宮(内苑)は明治天皇を祀る場所として崩御後すぐに計画され、1920年に完成した。明治神宮外苑の方も1915年には計画され、青山練兵場跡地に樹木と芝生を植えた公園にすることになっていた。それが1917年の外苑の大体計画では、絵画館や憲法記念館とともに、競技場を建設することに変更されている。外苑に競技場を建設することを提案した人物がいたのである。その人物とは、嘉納治五郎先生であった。嘉納先生は、1917年の「愛知教育雑誌」に、国民が尊敬する方の記念にできた外苑で、国民全体の競技大会が行われるよう、大きな競技場を作ることを建議したことを述べている。明治神宮側の史料『明治神宮外苑志』(1937年)にも、同様のことが書かれていた。そこには、オリンピック競技大会の開催などにより競技運動への関心が高まる中、大日本体育協会会長であった嘉納先生が、明治神宮奉賛会(明治神宮の管理運営を行う会)阪谷理事長に競技場建設を提案し、奉賛会が賛同して着工に至ったということである。また、国民全体の競技大会への出場者は、単に競技レベルが優れているだけでなく、学業や人格的にも優秀な者を選ぶべきであるとも嘉納先生は述べていた。
外苑競技場は1919年に着工し、1924年に竣工した。400mの楕円形トラックで、直線200m、12コースを設けるなど、国際的にもひけをとらない競技場であった。神宮内苑が日本的な造園であるのに対して、外苑は洋風造園であり、公園史においても本邦初のスポーツ公園であると評価されている。このトラック開きとして、同年10月に小学校児童のための競走が行われ、11月に明治神宮競技大会が開催された。この大会について読売新聞では、次のように報じている。
「ある種のインスピレーションを感じ、競技に不可欠の公正を愛する精神はここから生まれる、明治大帝の神前で全力を挙げて技を競う心には微塵もアンフェアーな点はない。この心は競技者のみならず国民全体の精神であらねばならぬ」
明治天皇ゆかりの地で競技を行うのであるから、不正なことを行うはずがない、ということである。フェアプレー精神の涵養ということになろう。外苑競技場で行われた第2回大会において加藤高明首相は、近年の運動競技の発達は著しく、ことに競技精神が多くの者に理解されるようになったことは誠に喜ばしい、と挨拶している。第3回明治神宮体育大会での若槻礼次郎首相は、祝辞として次のように述べている。「近年我国における運動競技の発達は極めて著しく、ことに本大会の回を重ねるに従って、運動精神が一般国民に理解されるようになってきていることは、誠に喜ばしい、いわゆるフェアアプレーの精神を以て競技し、青年の意気を発揚してほしい。」
これらの言葉の中に、外苑競技場建設に対する嘉納先生の思いを読み取ることができよう。特に若槻首相は、講道館理事として長く嘉納先生を支えた人物であり、嘉納先生の考えを理解していた政治家であった。
明治天皇は当時の人々にとって大きな存在であったことは言うまでもない。そこに競技場を建設し、国民的な競技大会を行うことでフェアプレー精神を全国に広める、ということを目指して嘉納先生は競技場建設を提案したと考えられる。この明治神宮外苑競技場の完成から数年後に、日本はオリンピック競技大会を始めとし国際的な舞台で活躍することになる。そこには1936年ベルリンオリンピック棒高跳びで、西田修平と大江季雄による友情のメダル(銀メダルと銅メダルを半分ずつにして接着したもの)として語り継がれる物語などスポーツマンシップに関する様々なエピソードも生まれている。
新国立競技場は2019年の完成を目指して着工されるが、嘉納先生にまつわる国立競技場の原点を伝えておくことは重要ではないだろうか。
(筑波大学教授)
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