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今月のことば

2009年09月

柔道の国際化と柔道精神

松 廣義

 柔道は今や世界のすみずみに普及し、国際柔道連盟には199の国・地域が加盟しているという。各国には古くから独自の格闘技が存在し、それらが柔道と結びつき、五輪や世界選手権大会等々におけるメダル獲得国は世界中に分布した。このことは柔道が広く世界中に普及した証(あかし)として嬉しい反面、日本柔道界にとっては国民の期待に応えるという点で一層厳しい課題を突きつけられる現状となった。
 さて、文化や宗教・思想・生活習慣が異なる国々で柔道が理解され実施されている。この柔道の魅力とは一体どこにあるのであろうか。競技柔道には、何といっても鍛えられた技の攻防、小が大を制する「柔能剛制」・一本の迫力と妙味・気迫、それらに加えて激しい攻防の後の興奮を抑える礼法、これらは全て柔道そのものの魅力であろう。
 柔道普及の背景にはこれ以外のもう一つの側面があることを見逃してはならないと思う。「欧州諸国やブラジル、ロシアなどでは、礼節や思いやりの気持ちの育成・青少年教育を前面に出し、柔道を教育面で生かそうとしている国が多いのだ」(柔道交流・山下泰裕氏談)。
 現に、フランスのある柔道場の案内パンフレットには、フランス語と日本語で「自他共栄=心技体=精力善用」の文字が、その上に「誠・尊敬・友情・自制・勇気・謙虚・礼儀」等々の徳目が併記されている。
 このことは、競技柔道を追求する以上に、人間教育としての柔道観を重視していると見るのが妥当であろう。嘉納師範は「精力善用・自他共栄」という柔道の目標を示され、各国に平和の思想として発信し、この思想の実現には「相助相譲」という「恕」の精神の涵養こそ大切であると説かれている。
 これらの誇るべき柔道観に共鳴したが故に柔道が世界に普及していったと見るのが適切であろう。
 以上のような観点を踏まえて日本柔道界の将来を思いつつ、私達柔道人が心しなければならない課題を模索してみた。
 『講道館柔道昇段資格に関する内規』第4項には(前略)「品性不良の者、柔道精神に悖(もと)る言動のある者は、他の事項の如何にかかわらず昇段を認めることはできない」と記されている。昇段者(柔道人)に対して「品性=品格・柔道精神」の涵養を強く要求している。
 「品性=品格」とはその人の身についている性質・人柄・人格、特に道徳的価値から見た性格をいう。品性・品格のある人は高邁な思想を抱き、高く深い教養と使命感を有し、質素倹約を旨(むね)とし、日本の美徳である清貧の心を持つ人であり、金持ちでも地位の高い人でもない。文武両道を求めるところに品性・品格が養われる。心しなければならない一つであろう。
 もう一方の柔道精神についてであるが、ここでいう「柔道精神」とは武士道精神と類似している。『武士道』は新渡戸稲造により1900年に初版、以来、日本人の精神の基盤として世界各国語に翻訳出版された。武士が命に代えても守ってきたさまざまの美徳=義・勇・仁・礼・誠・名誉は武士の支柱とされてきた。武士道など封建道徳の遺風にすぎないと片付けることはいとたやすい。しかし、近代に歩み出して約150年、今、日本人には果して武士道に代わる心の支えはあるだろうか。武士道精神が日本人の精神構造の主軸をなしてきたし、現在もそのことに変わりはない。
 鈴木貫太郎総理の遺言の中には「武士道は武を好む精神ではない。正義・廉潔・慈悲を貴ぶ精神である。日本人は武士道の美徳を失ってはならない」と遺している。
 さらに加えれば、「日本人の恒久不変の目標は名誉である」。外国人による優れた日本人論として読み継がれる『菊と刀』の一節である。
 何よりも他者の目を意識し自分だけでなく属する家族や集団の名誉・信用・利益を守ろうとする。汚名をそそぐため努力する。「恥」を知り「潔さ」を尊ぶのが日本の美徳とされてきた。昨今の政界、官界、財界の言語に絶する惨状を見る時、このままでは世界のリーダーの資格はないし、古きよき日本人も消滅してしまう危機感を抱いている。
 私にとっては、柔道精神は正に武士道精神の内容と一致していると確信しているし、そうありたいとも願っている。
 国際化した柔道に思いを馳(は)せ日本柔道が将来に亘って世界のリーダーとして存在していくためには「強い日本柔道」を作っていくと同時に、柔道人自身が自らを律しつつ研鑽に励み品性を養い柔道精神の涵養に努めることが、今こそ大切な時であると痛感している。

(茨城県柔道連盟会長)

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