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今月のことば

2015年10月号

柔道が人生を支える

川人芳正

皆さんが柔道を始めたきっかけ、柔道修行の発心はどうだったであろうか?それぞれに強くなりたい、体を鍛えたい、あるいは柔道をしている人に憧れたり、映画や物語に感動したりなど、動機は様々だったと推測する。そして、その頃を思い浮かべると、いかに歳月が経過したとしても新鮮で当時のことが蘇り、胸が熱くなるのではないだろうか?

 柔道の始祖、嘉納治五郎師範は青年の頃、勉強では誰にも負けないのに、日常生活では腕力や体力の強い少年が幅を利かせている、それが何としても悔しい。何とかして強くなって、見返してやりたいと、誰でもが持つごく普通の少年の気持ちを持っていたようである。そこで非力な者でも勝てる武術があると聞き、柔術の門戸をたたいた。そして、そこから柔道が生まれ、現在の「日本の柔道、世界の柔道」へと発展したと聞いている。心身の発達のために、嘉納師範が後世に残した柔道を多くの先人柔道家が今日まで創意工夫し、社会からも教育的価値を認められてきた。技、形、指導法、修行の心得も整えられ、数多くの偉大な人物を輩出してきた。しかし残念ながら、柔道界を揺るがした、指導者の暴力問題、助成金の問題、修行者の安全指導の問題などで社会から糾弾された。それでも柔道は必ず信頼を回復し、人間教育としても元の姿になることを私は信じている。そして信頼回復は各指導者の生き様やすべての柔道修行者の行動に関わる問題だとも感じている。これも柔道発展の過程と捉えれば、柔道は必ず、嘉納精神に立ち返り、青少年教育に貢献する教育の道として蘇ると信じているし、その兆しが見えてきていると感じるのは私だけではないだろう。

1 多様化した中での柔道指導
 柔道は教育的要素と競技スポーツ的要素の両面を持っているが、柔道に限らず、現在のスポーツ全般における開始年齢を見ると、小学校低学年から始める子どもたちが多いようである。その年代は体力、社会性、心身の状況に一人一人大きな差があり、一様に指導できないところがある。そして柔道を習わせる保護者の動機や希望も、躾をはじめ、基本的生活習慣の指導や、試合に勝たせてほしいなど、まちまちである。また、指導内容を受け入れられる子どももいれば、繰り返し指導しても、できない子どももいる。指導者はそのような子どもたちの個々の状況を勘案しながら、日々の練習計画を立てねばならない。焦ると必ず怪我につながる。指導力というより、指導経験が必要で、指導者自身の寛容さと忍耐も大切である。そしてきめ細かい観察眼も必要である。遊びの世界から柔道を覚えさせる。そして3・4年生になると受身もある程度できるようになり、技も覚えてくる。私たちが柔道を習い始めた頃の、「お前たちは投げられて、投げられて柔道を学び、そして上達するのだ」という指導観の時代から、指導者は柔道の受け止め方を変えないといけない。子どもたちは日々進歩していく。そして、それぞれに人生の土台が作られているのだと感じる。
2 勝負に対する指導。
 柔道の基本を覚え、同じレベルの修行者と乱取が出来るようになると、ひと安心である。しかし、他の学校の児童生徒との乱取や試合になると緊張感も伴うので事故の心配も増える。試合経験は大切であり、緊張した中で力を発揮できるので、柔道は大きく進歩することになる。子どもたちの試合による成長は、日々の形や乱取と共に大切な要素の1つである。怪我のないように指導しながら体験させねばならない。また指導者や保護者の期待感に押されての無理は慎まねばならない。  そこで勝負についての指導であるが、勝った者に対する指導も大切であるが、負けた者に対する指導はより大切である。試合の内容についてよいところは褒め、敗戦の原因を探りながら、・・・「負けたからと言って、それは値打ちのないものではない」「君は己の技と力を最大に出して、相手に向かっていったか?」それが大切である。「柔道は投げられても、投げられても相手に向かうことだ」と強調すべきである。  そのような勝負の中で、「これからの長い人生を生きていくための強い心を育てるんだ」と。以前にロシアのプーチン大統領が、若いとき柔道に熱中した頃を思い出しながら、「若き悩み多き時代にエネルギーをよき方向に向けたのは柔道だった。柔道に出会わなかったら横道にそれていたかも知れない。そして現在の政治生活の中でも柔道の勝負の駆け引きが、活かされている」と述壊していた。現在活躍している政治家でさえ、柔道の経験が人生に活かされるようだ。このように柔道を修行した多くの者が、自己や家族、社会生活、己の人生を柔道が支えていると感じているのでないかと思われる。
3 柔道修行には有形のものと、無形のものがある。
 柔道は有形で厳しい勝負の世界がある。柔道を修行することは決して容易なことではない。修行者も指導者も、上を目指すことは容易なことではない。教える人も教えられる人も思い悩むことが多い。実技は有形で多くのエネルギーを必要とする。その陰には精神的な無形の支えがいる。練習しても、練習しても伸びない。壁に突き当たり、挫折しそうな時がある。そのような時、指導者の一言で明るい展開があることもある。精神力や人を動かす言葉の力は偉大なものがある。
 最後に、小説家・井上靖氏の「柔道の魅力」註を引用して柔道のすばらしさを改めて感じたい。井上氏は自らも金沢の第四高等学校時代に柔道に熱中していて、それを題材とし小説『北の海』を執筆した。
 「柔道のすばらしさは、相手との闘いであると同時に、自分自身との闘いであることである。自分自身に克たずして、どうして相手を倒すことができよう。(中略)相手の攻撃の力を利用して、相手を倒す。これほど謙譲な、しかもこれほど強靱な体技はない。どこからでも攻めて来い、それを待っている。(中略)柔道のすばらしさは、自分より強い者に向かって、必勝の精神を持つことである。勝つことに自己のすべてを賭けずしてなんの柔道ぞや」。
 柔道に関わる課題は山積している。時代と共に変化するものもあるが、毅然として変わってはならないものもある。教育と競技スポーツを両輪に、今後の柔道の発展に期待すると同時に、自分の人生や社会生活においても、柔道から学んだたくましく生き抜く心身の力を発揮することを期待したい。
(徳島県柔道連盟会長)。
   註:「柔道の魅力」は、昭和53(1978)年開催の第1回嘉納治五郎杯国際柔道大会プログラムに掲載された。尚、全文は本誌20・21頁「一口メモ」参照。

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