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今月のことば

2019年5月号

美しい心

鳥海又五郎


 この度、故関根忍前会長の後任として、東京都柔道連盟会長に就任いたしました。微力ながら全身全霊をかけて、お受けした重職を全うして参りたいと思っております。東京都の柔道の発展だけでなく、講道館のお膝元で数々の全国的な大会の運営もお手伝いさせて頂く立場として、都柔連が日本柔道界の繁栄に貢献して行ければと考えております。何とぞ、よろしくご指導ご鞭撻を賜るよう、お願い申し上げます。
 小生は千葉県市原市の小草畑という小さな集落で生まれました。小学校までは約4kmの道のり。途中に長い岩をくり抜いたトンネルが4つあり、それらをくぐり、駆け抜けて通学したことなどが足腰の鍛錬になりました。後の柔道修行で、このことはとてもプラスになったと思っております。
 柔道を始めたのは小学校5年の時です。東京に引っ越したのが縁で、当時の学校の先生から柔道衣を頂きました。たまたま自宅から近くに警視庁中野警察署があり、その道場で指導を受けました。相手を豪快に投げる爽快感などが喜びとなり、柔道の魅力に取り付かれました。中学は御茶ノ水にある明治中学。昭和31年、当時水道橋にあった講道館に入門し、本格的な稽古を始めました。
 後に進学した明治大学の道場は大学校舎の地下にありました。小さな道場でしたが、そこで明大の師範だった三船久蔵十段に稽古をつけて頂いたのも思い出です。三船十段と言えば「空気投」で知られた名人。その稽古の感激は今でも鮮明に記憶に残ります。学生時代は競技に没頭し、全日本学生優勝大会で4連覇したメンバーに加わったほか、全日本選手権にも2回出場させて頂きました(後に社会人でも1回出場)。
 大学を卒業後、博報堂に入社してからは、柔道が日本の伝統文化であることに誇りを持ち、「世界中の柔道家に嘉納治五郎師範の創った真の柔道を教えることが出来るようになりたい」と思うようになりました。卒業して3年目の時です。2年間、フランスで指導をさせて頂く機会をもらいました。そこから述べ約20年、30ヵ国に亘る海外指導の挑戦が始まりました。
 当時の私は、海外での柔道普及に関して、1つの信念を持っていました。それは、「柔道が武道としての本来の姿を忘れてはならない」ということです。嘉納師範も海外普及には積極的で、多くの有能な門弟たちが海外に渡り、成果をあげられていました。特に昭和39(1964)年の東京オリンピックで正式種目に採用され、アントン・ヘーシンク氏(オランダ)が無差別で優勝したことなどで、柔道は急速に世界に広まっていきました。
 オリンピックや世界選手権などの国際大会が増え、日の丸をつけて勝負をするからには、本家である日本は勝たなくてはいけないという思いがありました。また、柔道そのものが国際化の中で「JUDO」に変貌しつつあり、それでは嘉納師範の教えから遠ざかってしまう恐れがありました。勝つだけでなく、日本が手本となり、世界に本来の姿を教える必要があると強く思っておりました。
 一旦帰国後、博報堂、京葉瓦斯で監督を務めた後に今度はサウジアラビアからの要請で8年、指導に赴きました。当時からサウジは中東の中心国だったため、私もオールアラブのチーフインストラクターを任され、選手を連れて欧州各国を転戦。その関係で様々な国から指導の要請を受け、世界各国に教え子ができました。
 その教え子たちに助けられたのが、平成27(2015)年11月、日本武道代表団が安部晋三首相の親書を携えてサウジアラビア王国へ渡航した時のことです。高村正彦団長以下、現代武道9団体と古武道3流派の代表ら総勢71名。その中で柔道は中谷雄英団長、春日俊副団長の下、岡田弘隆、眞喜志慶治、高橋寿正、斎藤涼、北原隆文のメンバーで計3回の演技を行い大変喜ばれました。
 実は前年、私はこの渡航のコーディネーターとして2度サウジを訪問し、全ての部署にお願いをして回りました。現地はご存じの通り日本とは違って治安の問題等がありますが、往時の教え子たちが中心となり、日本の重鎮たちを完璧に警護してくれました。お陰で「日本武道の技と心を披露する」という代表団の活動は大成功でした。大役を果せた私も安堵した次第です。
 これまで海外で様々な経験をしましたが、その度に感じるのは「柔道は競技の粋を超えて、まさしく日本を象徴する存在である」ということです。世界の中では日本の首相の名前を聞いたことがない人でも、現全柔連会長の山下泰裕氏を知っている人はたくさんいます。ロシアのプーチン大統領は、若くして柔道を真剣に修行しました。北方領土問題では日本に対し、つれない態度を取られていますが、講道館に対しては心からの尊敬の念を抱いております。
 明治、大正、昭和、平成を経て「令和」と新しい時代が始まろうとしております。この間、日本は敗戦を乗り越え、世界有数の経済大国に成長しました。しかし、反面、大事なことを忘れかけている気もします。それは人間誰もに必要な「美しい心」です。日本人は心の中に不撓不屈の精神を持ち、武士道から武道へ、そして柔道の心が美しい心を生んできたと私自身は思っております。
 現在の日本は親子、親族間の殺人、暴行や陰湿な子どものいじめ、それらを苦にした自殺等、暗いニュースが連日のように報じられます。今こそ、世界200ヵ国にも普及している講道館柔道、嘉納師範の教えである「精力善用」「自他共栄」の精神が必要な時ではないでしょうか。それを実現するのが「美しい心」です。小生は帝京大学女子柔道部も指導しておりますが、強化はもちろん、人間として美しい心を持った、社会に幅広く貢献できる人材を育成したいと常々願っております。
 最後になりますが、今年は8月に世界選手権、来年の7月には2020東京オリンピックが日本武道館で開催されます。都柔連と致しましては、この両大会の成功に最大限の協力をしたいと考えおります。メダルの数だけでなく、柔道が広く国民に愛され、誇りに思う競技として再認識されるようお手伝い出来れば幸いです。
                        (公益財団法人東京都柔道連盟会長)

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