今月のことば
2017年9月号
「人づくり」「人間教育」の柔道界を目指して
山下泰裕
私が柔道を始めたのは小学校4年生のときです。当時の私はかなりのやんちゃ坊主で、私がいるから怖くて学校に行くことができない、と登校拒否を起こしたクラスメイトまでいるほどでした。
「このままいったら、うちの息子は人様から後ろ指を指される人間になってしまうのではないだろうか」そんな私の将来を案じた両親が「柔道をやってみないか」と勧めてくれました。私の両親は柔道経験はありませんでしたが、柔道のことを「単に勝ち負けを競ったり、技術、体力を磨くだけではない、人を成長させ育ててくれる武道である」と捉えていたようです。それがきっかけで始めることになったのですが、このときはまさかこれが私のその後の人生を決めることになるとは、私はもちろんですが、両親も思ってもみなかったことでしょう。
そこから私は2人の師と出会います。
1人目の恩師が、進学した中学校で出会った白石礼介先生(2015年他界。ご遺族が少年柔道の振興のためにと全日本柔道連盟に寄付をされ、それを元に少年少女柔道普及振興基金を創設。通称・白石基金)です。先生からは、柔道の技だけではなく「柔道を通して学んだことを日常生活に活かすことが最も大切なことである」と教わりました。それはすなわち、道場と普段の生活、人生は繋がっているということで、例えば道場で当たり前のように先生や仲間にする挨拶を、家に帰っては両親に、学校では担任の先生や、クラスメイトたちにと、いつでもどこでも道場と同じようにできるようになることが「柔の道」である、と私は白石先生から学びました。
このご指導のお陰で、私の中から友人を怖がらせた粗暴さが少しずつ消えていき、やがて、柔道の強い選手だけではなく、本当の柔道家になりたいという思いが芽生えるようになっていきました。
もう1人の恩師が、高校2年生から現役を引退するまで、そして現在もご指導頂いている佐藤宣践先生です。佐藤先生からは「何か事を為すには個人の力、個人の努力だけでは限界がある。いかに人を巻き込んでいくか。いかに組織を動かしていくか。そのことができて初めて、事を為すことができる」とよく言われました。当時の私は柔道一直線。周囲が見えていない視野の狭さがありましたので、それを心配してのことだったのでしょう。多くの理解者を得て、組織として行動する、そうした総合力が真の勝利を得るためには必要なのだということを佐藤先生に教えて頂きました。
このように、柔道と出会い、素晴らしい2人の師と巡り合ったことが、私自身と私の人生を大きく変えていったのです。私の人生は、柔道との出会いを抜きにしては語れるものではなく、そういう意味では、まさに柔道が「山下泰裕」という人間をつくり上げてくれたといっても過言ではないと思います。
去る6月、宗岡正二会長の後を受け、全日本柔道連盟の会長に就任いたしました。
内閣府からご指摘を頂いたガバナンス面をはじめ、全柔連の改革自体はこの4年間でかなり進んだのでないかと考えております。それでも残念ながら、日本柔道界が抱えている課題はまだまだ残されています。
例えば、柔道による重大事故もその1つです。これを防ぐため「重大事故総合対策委員会」を立ち上げ、様々な方策を講じてきました。しかしながら、重大事故が完全になくなるまでにはまだ至っておりません。暴力、パワーハラスメントなどの根絶を目指して「コンプライアンス委員会」を立ち上げましたが、指導現場での暴力問題も残念なことに後を絶ちません。
依然課題は山積しておりますが、私は全柔連の新しい会長として、「安心・安全」で、かつ「人づくり・人間教育」の価値を持つ柔道界にしていきたいと考えています。子育て中のお父さん、お母さんに「ぜひ、我が子に柔道をやらせたい」と思って頂けるような、何より子どもたちが柔道衣を抱えて道場に通うことに憧れてくれる、それが私の描くこれからの日本柔道界です。そんな柔道界に何とか近づけたい。前述したように、私自身が柔道の価値を身を以て体験してきたからです。
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックでは日本を代表する選手、監督、コーチが全力を尽し、感動的で素晴らしい試合を見せてくれました。しかしながら足下を見ますと、子どもたちの登録人口は減り続けています。この減少を何とか食い止めることも、喫緊の重要な課題です。
そのためには、加盟団体、特に地方の柔道連盟・協会と全柔連との関係性を密にしていかなければなりません。前述した「安心、安全」で「人づくり・人間教育」の柔道界を目指すには、ここの信頼関係抜きにはできないからです。これまで以上に、各都道府県や中体連、高体連を含む加盟団体の方々の声に謙虚に、じっくりと耳を傾ける。そしてまた、全柔連が目指しているもの、取り組んでいくことを丁寧にお伝えする。柔道界全体が一つになって、様々な活動に共に取り組んでいく。このことが現状を打開するためにまず、必要なことだと考えています。
嘉納治五郎師範は、「柔道とは人づくりである。柔道を通して心身を磨き高め、その高めた心身を社会生活で活かし、より良い社会の実現に尽力していく」という思いを託して柔道を創始されたことは、皆様ご存知の通りです。「人づくり」や「人間教育」というと、ややもすると勝利を追求することと対極にあるように思われますが、決して勝負を否定することではありません。目標達成を目指していく日々の鍛錬のなかで人は成長していく。むしろ、勝負と人づくり・人間教育を両立した者が真の意味でのチャンピオンである、と私は思います。
嘉納師範が考えておられた柔道界にしていくためには、まず、何よりも子どもたちを育てる指導者のみなさんのお力が必要です。日々子どもたちに接している指導者のみなさんお一人おひとりの意識が、明日の柔道界を作り上げていくからです。
微力ではありますが、嘉納師範が天から微笑んでくれるような、そんな日本の柔道界を築いていきたい。険しい道ではありますが、日本柔道界の真の発展を願う、柔道を愛する全国の皆様と心を一つにして手をつないでいけば、決して不可能なことではないはずです。みなさん、ぜひ、お力をお貸しください。
(全日本柔道連盟会長)
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