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今月のことば

2013年10月

私の修行時代

西岡 弘

 柔道は第二次世界大戦後、国際的なスポーツとして発展してきました。試合は体重別になり、審判の方法も大きな変化を遂げました。しかし、このような大きな変化があっても、柔道には時代を超えて変わらないものがあると思います。僭越ながら、私の修行時代の柔道とその頃の思い出を述べさせていただき、若い修行者の皆様に何らかのお役に立てばと筆を執りました。   終戦  私は、戦時中海軍に入隊し、引き続き終戦後も瀬戸内海で機雷掃海の任務にあたっておりました。昭和22年の暮れに復員し、すぐに恩師である山本博先生のご紹介で、道場のある大阪市内の商事会社に就職しました。社員は20名程いましたが、ほとんどが警察を公職追放された人たちで、神戸税関から軍隊に入り復員した森田荘二氏(現九段)も一緒でした。この会社は、統制で摘発した物資を処理するといった特別な仕事をしていましたので、物資の乏しい時代に大変恵まれた会社でした。道場は小さなものでしたが、故小谷澄之先生(十段)や安部一郎先生(現十段)など著名な先生方がよく来られました。昭和23年に初めて大阪府下段別選手権があり、安部先生が五段で優勝され、私も四段で優勝しました。その試合には、タレントの和田アキ子さんの父親も参加していました。当時は柔道の全盛期で、全国至る所でよく大会が行われていました。昭和25年の大阪府対宮崎県親善試合は、宮崎球場で行われ2万人の大観衆でした。宮崎市の人口が10万人の時代のことです。   大阪市警視庁時代  その頃の私の希望は、柔道で身を立てるために警察に入ることでした。昭和24年1月、願いが叶って大阪市警視庁勤務を拝命しました。6ヵ月間の警察学校での教養を終え、新世界を管轄に持つ浪速警察署に赴任しました。特練生でしたので、毎日午前中は大阪城内にある本部道場で稽古を行いました。本部道場には各署から選抜された30名程の猛者が集まり、毎日激しい稽古が行われました。当時、大阪市警視庁の師範は、濱野正平、伊藤徳治、広瀬巌、山本博といったいずれも後に九段になられた錚々たる先生方でした。また、各府県からも大勢の修行者がよく稽古に来ていました。戦前柔道界の天才として名を成した阿部謙四郎先生も京都からよく来ておられました。  私は、希望がかなって特練生になり張り切って毎日頑張っていました。10月に行われる6大都市警察大会は、警視庁、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市警視庁、神戸市で、選手は五段以上5名、参段以下10名の構成でした。当時、私は五段でしたが、五段以上の部の補欠にも選出されず、選手への栄養補給などの経済的な理由で特練生から除外されることとなりました。希望が叶ったのも束の間、特練生の期間は2ヵ月で消えてしまいました。そして、その後は署で警邏の仕事をすることになり、毎日が情けなく、このままであれば警察を辞めることも考えていました。   講道館での修行  昭和24年の暮れに、全日本選手権の予選に備えて3人の武専出の師範、伊藤、広瀬、山本の先生方が、講道館の寒稽古に警察から出張されることを知りました。特練を除外された屈辱を晴らしたいという思いもありましたし、私も何とか同行したいという気持ちで、上司に休暇願を出しました。ところが、大阪の1月10日前後は、十日戎の時期です。毎年参詣者が百万人を越え、雑踏警備で機動隊以外にも各署から応援を求めている最中であり、上司には「君は何を言っているのか!」と厳しく叱責されました。しかし、私は何が何でも強くなりたいという思いから、今度は直接署長に頼みに行きました。辞職してでも同行したいという私の強い決意に対し、署長は同情して休暇を認めてくれました。ところが、旅費、宿泊費の工面が大変です。忘れもしませんが、その時の先生方の出張費は1人10日間で1万4千円でした。私はお金がありませんから、1着しかない背広と靴を新世界の古着屋に7千円で売り、やっと東京に行くことができました。宿泊は、水道橋の講道館からそう遠くない真砂町にある大阪市の寮で比較的安く泊まることができました。その頃東京は毎日雪が降っており、講道館へは下駄を履いて通いました。道場には、北は北海道から南は鹿児島まで、全国から修行者がワンサと集まり、人また人で熱気に溢れていました。私は誰彼なく相手に稽古しましたが、特に目指したのは当時柔道界のホープで十傑といわれた醍醐敏郎さん(当時六段、現十段)、大澤慶己さん(当時五段、現十段)でした。お2人とは何回も稽古しましたが、実力の差は歴然としていて自由自在に扱われました。私はこの講道館での寒稽古で、柔道の真髄を味わい、己の未熟さをよくよく知りました。大阪でも広瀬、伊藤といえば全国的に知られた実力者です。それらの先生方との稽古では投げられるのに少しは間があったと思いますが、大澤五段には、立っている間がない程足技で投げられました。私は大澤五段に「どうしたらそんなに強くなれますか」と尋ねましたら、「西岡さん、柔道は足ですよ」と教えられ、その後は足に関心を持ち、足を鍛えることに一生懸命努力しました。東京から帰ると、毎朝起きてすぐに足払を2千回して、それから大阪城の特練の稽古に行きました。駆け足だけでなく、歩くときにもなるべく早く歩き、足を鍛えることばかり考えていました。足払は1分間に100回ぐらいできるようになりました。   チャンピオンに必要な条件  私は、精神的面からも酒、煙草、女性、パチンコ、麻雀、競馬を禁ずることを自分で誓い、精進しました。しかし、いくら努力してもチャンピオンになるためには、努力だけではなれないということを知りました。チャンピオンになるには、4つの条件があると思います。それは、努力、環境、素質と運です。全日本選手権で優勝した松永満雄、松阪猛両君とは永年大阪府警で一緒でしたので、彼らのことはよく知っていますが、私は彼ら以上に努力したつもりです。彼らも私の努力について称賛してくれました。それでも、結果として彼らに勝る成績は残せませんでした。彼らは、努力だけでなく素質があったと思います。また、運がなければチャンピオンにはなれません。私は、関西大学師範の岩田兵衛八段を彼が柔道を始めた小学生の頃からよく知っています。岩田君は、軽量級でありながら全日本選手権に近畿から4回も出場していますが、すべて一回戦で敗退しました。もし、現在のように体重別の試合であれば、きっと彼は国際的な大会で活躍し名を成したことと思います。残念ながら運には勝てませんでした。「事を成すは天にあり」と申します。何事も困難を乗り越え達成できると思いますが、素質と運だけは天が与えるものです。しかし、その素質も運も努力という土壌でしか芽を出し、花を咲かせてはくれません。私は、この4つの条件のうち努力だけが人の成し得るものであり、環境、素質、運の土台となるものであると信じています。    私は素質や運に恵まれなかったかもしれませんが、警察や講道館という恵まれた環境の中で、努力を信じて柔道を続けてきました。悔いのない人生です。柔道が私の全てであり、柔道に感謝をして、今後も指導に努めていく所存です。

(講道館大阪国際柔道センター?指導部長)

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