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今月のことば

2022年2月

武道修行と講道館柔道の厚み

松 原 隆一郎

 私は2019年で東京大学を早期退職、放送大学に移った。東大時代は最後の12年間、柔道部長を務めた。試合日には日曜に早起き、水道橋駅から講道館にかけつけた日々が昨日のように思い出される。
 国際柔道は高齢者、成年から子どもまでが、細部を除けば同一の競技ルールを持つ、世界でも稀な武道である。少年が近隣で学び、県大会に出場、全国大会まで闘いのピラミッドが続く。世代ごとに全国大会があり、青年では世界大会やオリンピックまで整備されている。少年が使う同じ技が、各年代やオリンピックまで、完成度や連携において熟達の度を高めながら日本全国で使われているのは壮観である。
 けれども裏を返せば、それはピラミッドの頂点に立つオリンピックの勝者以外、県大会で何連覇した選手であれ、インターハイや実業団大会の優勝者であれ、上位大会のどこかで敗者となるということでもある。そして高校や大学を卒業すれば大半が国際柔道からは引退となり、道場から足が遠のいていく。
 そのように競技が少年から高齢者まで全国で整備されていることが、東京オリンピックにおける代表選手たちの華やかな活躍を可能にしている。それだけに幾人かの日本人選手が試合場に向かって深々と礼をしたシーンには胸が熱くなった。自分が「代表」する全ての敗者に向けての敬意と感謝を表していると感じられたからだ。
 ただ私は、武道には競技以外の価値もあると考え、65歳のいまもなお稽古を続けている。柔道の国際ルールでは禁止される「パンチ」や「頭突き」を認めるならば、距離を開けて投げる技は打撃を食らう可能性がある。日本柔道では主流でない「密着柔道」にも、顔を相手に押しつけて打撃を許さないという実戦性がある。国際柔道ルールでは禁止されているが、路上の現実では起こりうる、そうした事態につき想像をめぐらせ技を工夫するのも武道の妙味ではある。競技に打ち込む青年世代とは異なる「頭脳と身体に良い」柔道の楽しみ方が、高齢者にはある。
 また青年であっても、異なるルールで競技する柔道の楽しみ方がありうる。それを実践しているのが東大を含む国立七大学の「七大戦」(七帝戦とも呼ばれる)だ。東大は「国際ルール」と「七大ルール」の双方で稽古し、試合を行っている。けれども国際ルールの柔道は他のスポーツとは事情が異なり、学生でもトップ選手はオリンピック出場、メダル獲得というレベルに達する。そうした選手たちは、男子の多くが大学進学の際に東京ブロックと関東ブロックに集まる。そして東京都予選では東大男子が一回戦で強豪の東海大と対戦することもある。しかし大学1年生で白帯から始めた部員となれば白帯相手でないと勝つのはなかなか難しく、そうした部員を含むチームが国際ルールでは勝負に意義を見出しづらい。
 それに対して七大戦は、大正時代に全盛期を迎え、戦後は旧帝国七大学にのみ継承されてきた「高専柔道」である。勝敗は一本勝ちのみ、引き込み有りで寝技時間無制限の団体戦。1試合で2時間はかかる15対15の抜き勝負で、延々と寝技が続く。寝技は「専守防衛」も許され、相手の主力と引き分ければ勝利に大きく貢献できる。インターハイに出た立技の強豪選手であっても大学に進学したばかりだと、大学で白帯から始めた選手に寝技で絞め落とされるという衝撃的な場面に出くわすこともある。それゆえ雰囲気は相当に異なっている。
 1人抜いても、引き分けに専念して「亀」になる2人目をひっくり返し抑え込むのはただ事ではない。それゆえ双方が1人抜いては引き分けを繰り返す。引き分けるつもりが力尽きたり、もっと抜けるつもりが相手に首尾良く引き分けられたりして、号泣する選手が試合場のあちこちにいる。異様なまでの高揚感と緊迫感。大会の前日抽選でトーナメント表が確定した後に他大選手の得意技を聞かされると、部長までがハラハラして眠れなくなる。
 「国際ルールのピラミッドから外れて試合をしている」と聞いたなら、多くの柔道人は「何を勝手なことをやっているのか」と思われるだろう。しかしこれだけ部活動に打ち込み、東大生が本来苦手な人間関係にも心を砕いて、知恵を振り絞り試合に立ち向かえるのであるから、七大ルールがいかにうまく出来ているのかよく分かる。
 興味深いのは、この寝技柔道が「亀取りゲーム」を基調としている点だ。うずくまって脇を締め、腹部の空間をなくした相手をひっくり返して抑え込むのは容易ではない。そこで開発された裏返す技法は、国際ルールでも使われるようになり、別名称が与えられている。
 近年、国際ルールでも寝技時間が長く認められるようになったが、そこで展開されるのは同体で横倒しになってから裏返す攻防である。大学柔道のさらにごく一部だけで親しまれてきた変則ルールの柔道技が、国際ルールの一流選手にも採用されているのであり、関係者にとって痛快だ。一方、講道館で柔道を学んだ前田光世がブラジルで伝えて後に発展した「ブラジリアン柔術」は無尽蔵の技で世界に拡がっているが、不思議なことに国際ルールの試合でその技が見られることは滅多にない。柔術では抑え込みの一本勝ちや専守防衛は認められないからであろう。「亀を取る」場面はそもそも滅多に現れないのである。根本において別競技なのかと思われる。
 重要なのは、変則ルールであっても修行者がこれに知力を使い、心身を鍛え、心から楽しんでいることであろう。これは七大ルールに限ったことではない。国際ルールのたび重なる改正で、講道館でかつて正当と認められた多くの技が柔道競技からは消え去った。けれども熟年以上の柔道家で、たとえば掬投を得意とした人は少なくない。改正以前の柔道ルールは、七大ルールとともに全て現在の国際ルールと地続きの変則ルールなのである。試合はともかく、普段の乱取においてなら、そうした技を認めたルールで稽古ができればどれほど楽しいことだろう。歴史を任う講道館には、そうした稽古の場でもあっていただきたいものだ。
 高齢者となった現在、相手との合意のもと、多様な技で稽古をし、「頭脳と身体に良い」柔道をする楽しみをこれからも味わいたいと願っている。
           (放送大学教授・東京大学名誉教授・立正館高木道場)

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