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今月のことば

2008年02月

和術の術技修得段階をみる

太田 尚充

 かつて津軽弘前藩では、本覚克己流和(添田儀左衛門貞俊により、寛文元年(一六六一)頃成立)が盛んであった。残念ながら現在はこれを継ぐ人はいないが、幸いに、伝書や関係古文書が残っているので、その一部、とくにこの和術の術技の修得段階を紹介したいと思い、筆を執った。
 この段階は、入門者からみると術技修得の過程を示し、指導者(師範)からみると、流儀の本流を正しく伝えるための指導(指南)をいかにすべきかの段階であった。
 さて、本覚克己流和(以後当流と略称)には、「一の巻」から「七の巻」まで七つの段階があり、ひとつの段階を修了するごとに、その段階にふさわしい証書(伝書―巻物)を授与していた。また当流では、術技の進歩向上には、知格、離格、至格の三つの段階をたどるであろうと、基本的な考え方をもっていたようである。以下順にこの概略を紹介する。

一の巻(「 」内は、伝書からの引用である) 
?序。修行心得。入門者全員に、入門したからには、苦しさに耐えて修行をながく続ける  ようにと諭した文。
?知格の段。取組表裏合せて一六本。取組は形のこと。知格とは、当流の術技の基本や、これを修練する心得など、基本中の基本を体得すべしとの意である。
?琢磨の段。取組一〇本。この段も、初学術技の修錬で、「剣を研ぎ、玉を磨く心をもって当るべし」との意がある。
?当三段。当身技。上、中、下三段の意。
 伝書では、「知格、琢磨の両段の修練相済み、その業作、師の心に相叶う節、初巻(一の巻)を与えるべし」と結んでいる。

二の巻
?重練の巻。取組一五本。何れも奇正虚実、和術の変化に至る形と用を示している。
 琢磨の心意を含め、この段で重ねて練らしめる教えなどで、重練の段という。

三の巻
?離格の段。表裏合せて六本。ここでは取組といわず、乱曲と称している。転変応変の修練で、その術技は「混々粉々として変化究まり無く、進退立位臥四肢転動、しばしも停まらず、忽ち変じ実形不定、格を離れ格に逢うの教術なり」としている。
?小具足合。七本。荒木流取(捕)手。三曲。
  これは、自分から小具足で攻める術技ではなく、敵が小脇差などで、不意に攻めてきた時の対応術技である。荒木流も入るが、ここでは勝利を本意とするより、四肢の妙用を生かして相手を制することを要としている。
  竹内流成立時代の、柔術以前の名称、腰の廻り、小具足の術を髣髴とさせる段である。

四の巻
?剣詰の段。取組一一本。和術(柔)は、白刃に詰め寄られた時の術技が大事で、その修練の故に剣詰の段と称している。

五の巻
?和歌(狂歌とも)一一首。今村嘉雄『武道歌撰集・上巻』(第一書房一九八九)は、竹内流、起倒流などの柔術から合計六二一首をあげている。しかし当流の一一首と同じ和歌がないので、当流独自の和歌と思われる。紙面の関係で、三首だけ紹介する。
 ・和とはただかたからずゆるからず
   敵の拍子を受くるばかりぞ
・拍子とは身の動静にかぎるまじ
   声にもありと心得てよし
 ・手弱女にすがたはならえ心おば
   山の端伝う秋の稲妻
 一一首の終わりに、和の真意を直截に表現し、「和の深意妙用を絵にかけるがごとし」と付言している。
?剣乱の段。取組五本。「剣変刃触れの筋道を修練し」、心身をもってこの要諦を修得するにあるとしている。

六の巻
?極意至格の段。取組一六本。この取組に「二人詰」「前後移」「友千鳥」など、二人、三人を相手にする取組を含めて、和の特異な術技がある。
?当の大事。六。図星(急所)を示している。
?縄。四筋。右と共に搦者に用いる。

七の巻
?極意責具足の段。
 無刀・目付の大事五本。 相手の太刀に対してこれを制する術技。生捕りの術技を含めている。
  道具。五。責具足とは、捕縛する時に助けとなる道具のこと。
  右は捕縛にかかわりの深い段である。
 修練が進んで、右の六の巻、七の巻は、当流の印可相伝に当る最後の段階である。印可に当っては、数日間の精進が必要で、その精進中に、至格の段と責具足の段の術技を修練している。この修練が、心技ともに当流の本意に相叶う時に、相伝となるわけである。
 以上、概略ながら、本覚克己流和の術技修得段階を述べてみた。結局段階には、知格の段、琢磨の段、重練の段、離格の段、剣詰の段、剣乱の段、至格の段、責具足の段と、それぞれ特有の名称が付けられていた。
この名称は覚え易く、術技の目的やねらいを明確に現しているので、修行者は自覚をもって到達目標を定め、修練に取り組むことができるようになっていた。このような術技修得の段階設定は、いわば教育課程のような性格をもち、注目に値する発想と思う。
 また「修行心得」や「和歌」を示しているが、術技修練には、動と静との両面からのアプローチが必要で、ここはその一面を主張しているようである。この考え方こそ武術指導の大事なところと感じた次第である。

(青森県柔道連盟会長)

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