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今月のことば

2020年2月

日本学校部活動の危機

アレック・ベネット


部活動のカルチャーショック
 私は、1987年に交換留学生として初めて来日した。熱狂的なサッカー少年であった私は日本でもやる気満々だったが、砂利の上でやることに違和感を感じた。ホームステイ先のお母さんに「せっかく日本に来ているのだから、剣道のような日本の伝統的なスポーツをやってみたらどう」といわれ、わくわくしながら留学先の剣道部に入部することにした。顧問の先生に「やるなら毎日稽古に来いよ」と命令され、"地獄"の日々が始まった。
 日本では、部活動は辛くても休まずに練習することが当たり前だ。それに加えて、夏休み、冬休み、春休みにもほぼ毎日練習があり、楽しいより「軍事訓練じゃないか」と嘆きながら強烈なカルチャーショックを受けた。週2回か3回しか練習しないニュージーランドの学校部活動と大きく違う。
 しかも、ニュージーランドの若者は季節によって様々なスポーツを体験する。例えば、ラグビーは冬だけのスポーツなので、夏の間はクリケットやソフトボールなど、違う種目に切り替えることが珍しくない。1つの種目だけを専門的にやる環境も整っているが、自分自身で選択できる自由度があり、少なくとも同時に2つの部活動に所属することは普通である。いろいろな競技を体験することで、多様な技術が体得でき、バランスのとれた身体を養い、何よりもスポーツの楽しさを味わう精神的・身体的な刺激が多い。

世代間の気質変化
 最近の学生が"スポーツ嫌い"になっていると、大学教員として非常に気になる傾向が見られる。例えば、高校の部活動から大学の体育会クラブまで継続しても、社会人になってから武道や他のスポーツを止めてしまう卒業生がほとんどだ。社会人だから忙しいという言い訳もできるが、その競技が本当に好きだったら時間を見つけてやるはずだ。
 各武道連盟が公開している"会員数"の統計をみると、武道家が大いに増えつつあると思われがちだが、本当はそうではない。実際に減っていると認めても、それは「少子化問題」による問題だと片づけてしまう。減っている理由は別のところにもあると思う。
 学校部活動の在り方と指導法が大きなポイントである。曽根喜美男氏の指摘のように、「武道離れ」の源流をたどってゆくと、次のような日本人的教育観に出会う。①与えすぎ、詰め込み主義的教育観(指導内容に幹と枝葉を区別した体系化が必要)、②個よりも集団を大切にする教育観(集団に埋没した個の発掘)、③「鉄は熱いうちに打て」式の教育観(まず熱くすることが先決)、④「完全主義」になりすぎる教育観(長所を伸ばさず、欠点を指摘)、⑤これには真面目すぎる(頑固)武道教師の、"百練自得"という概念が災いしているものと考えられる(『武道教育論』日本出版放送企画、1997年 )。
 長年大学で指導していると、代々の若者に大きな気質変化があることに気付く。簡単に現学生の特徴をまとめると、「頑張りたくないけど幸せになりたい。そのため『無駄』だと思われることを避けて、即時の刺激・達成感を求める」。この傾向が見られるのは日本の若者だけではなく世界共通の現象であり、異文化の差異よりも「デジタル人間」と「アナログ人間」の世代の裂け目が著しい。  そこで、学問やスポーツなどの学び方が大きく変わる。例を挙げよう。大学4年生に聞いてみた。「大学に入ってから何回図書館へ行ったか?」「3回ぐらい」「素晴らしいね、君。週3回か」「いいえ、合計3回か4回」「どうやってレポート書くんだ?」学生はポケットからスマートフォンを出して「これで調べる」と、悪びれる様子も無く答えた。なるほど。世の中のすべての情報がインスタントでピンポイントに指先操作で手に入る。検索して無駄も苦も無くレポートができ上がる。
 自分たちの全くアナログな学生時代を思い出した。たった30年前のことだが、まず図書館に行って、カードインデクスで役に立ちそうな本をいくつか調べ、広い図書館のあちこちを探し、1日中得られぬものを追い求める。見付けた著書の索引や参考文献を参照しながら改めて探しに出る。原稿用紙5枚程度のレポート執筆が大体5日間かかった。平均して50冊の本を開いて、図書館の中を5キロは歩いた。確かに無駄が多いかも知れないが、物事をいろいろな角度から考える切っ掛けにもなった。指先のピンポイントも良いが、時には足運びの迷い道も悪くない。

部活動パラダイムシフトの必要性
 ニュージーランド人は世界的に見てもスポーツ好きな民族で、国際舞台の様々な種目で活躍しているアスリートを多く輩出している。特にラグビーが有名で国の代表チーム「オール・ブラックス」は、日本人にもよく知られている。オール・ブラックスの選手経歴を見ると、ラグビーオンリーでやってきている者はほとんど見当たらない。中学・高校で様々なスポーツを経験してから、少しずつラグビー専門になっていく。
 武道種目に限らず、どんなスポーツでも"マスター"するためには、その種目だけに集中し、「毎日やらないと上手くならない」という考え方が日本では一般的になっている。海外でも、マルコム・グラッドウェル氏のベストセラー『Outlier』(天才! 成功する人々の法則)に「一万時間は偉大さの魔法の数」だと主張し、この"一万時間法則"という考えが広く普及された。しかし、最近プリンストン大学などから出た研究によると、どんなスキルであれ、それを極めるために必要な時間は、グラッドウェル説を大きく下回ると反論する学者が少なくない。
 例えば、スポーツの場合は練習時間がパーフォーマンス向上にたった18%の効果しか与えていないということも研究で証明されている。すなわち、量より質が重要で、特に子どもが1種目だけを専門的にする(specialization)より、多様なことを経験する方(diversification)が最終的にスポーツを長く続け、技術・精神・健康的にも効果が明らかだという。
 私も、中学・高校時代、冬にサッカー部(月水土)・バレーボール部(火木)・弁論部(月)、夏にクリケット部(火土)・バスケット部(月金)・テニス部(水)に入り、6つの課外活動を交代しながら高校生活を大いに楽しんだ。日本的な感覚からすると種目のやり過ぎと思われるかもしれないが、すべて自分の意志で取り組んでいた。
 毎日ではないので練習日が待ちきれない。いずれもオフの時期がたっぷりで、遊び感覚で近くの公園で自主練もしていた。武道にはまってから「武芸十八般」的に剣道を中心になぎなた、居合道、銃剣道、短剣道、古流をするのもその影響であろう。
 日本では1つの種目に精通しないと社会的価値観(辛抱、克己、人間関係など)が養われず、また競技能力も落ちると恐れる人が多くいる。そのため、多様なスポーツを学校部活動ですることが損になり、日本の常識に大きく反するという考え方が強く根付いている。戦後の規格大量生産型の工業社会を発展させるために有効な社会教育手段だといえても、もう21世紀の社会背景には合わない。
 入学期から卒業するまで年中、毎日"ワン部活オンリー"で過ごす若者の「燃え尽き症候群」という問題が目立っている。しかし、子どもたちだけではない。顧問の先生にとっては、拘束時間の負担が大きく、また結果を残さなければならないプレッシャーで部活動を避ける教員が多数いる。学校で武道・スポーツをする環境が着実に侵食されている。今の学校部活動の在り方を維持することが、日本のスポーツ界をダメにするに違いない。根本的なパラダイムシフトが必要といえよう。
 少なくとも部活動をする日数・時間数を減らす必要がある。それをやろうとしている自治体や教育委員会もあるが、それだけでは足りない。「多様性」を1つのキーワードとして考えれば、各スポーツを季節に分けて行うことで、顧問教員の負担も大きく減ることになり、日本スポーツ界の活性化に繋がる。
 嘉納治五郎師範も「時間を最も有効に利用したものに、最も立派な仕事ができる」と教え、子どもたちに勉強方法を教えるよりも、時間の使い方を教えた方が成功確率が上がると唱えていた。まさに、武道・スポーツを短い期間だけ毎日無理やり参加するか、生涯にわたって楽しく継続するかは、この教育思想が素晴らしい手掛かりになるのではないかと思う。

                                  (関西大学教授)

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