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今月のことば

2015年5月号

人間形成と社会貢献

中島政司

 

かつて、恩師より柔道の基本精神である「精力善用」「自他共栄」は「人間形成」「社会貢献」であり、双方がバランスよくなされて、はじめて目的を達成されたことになると教えて頂いたことがある。この件に関し、一部「日本書記」を引用しながら、この場をお借りし、所信の一端並びに本県の柔道に対する取り組み等について述べたいと思います。

1.野見宿禰の足跡
 野見宿禰と当摩蹶速の力比べは、柔道のルーツ(相撲のルーツとも言われている)としてあまりにも有名な話であり、そこで一方的に勝利した野見宿禰は垂仁天皇から褒賞として、没収した当摩蹶速の土地を賜り、そのまま都に留まって天皇のお側にお仕えすることになった。
 垂仁天皇の皇后が薨去されたとき、この時代は、高貴な方が薨去するとお側に仕える者を殉死させるのが習慣であった。天皇は、かつて弟の倭彦命が薨去したとき、御陵の廻りに立たされたまま埋められるという人間の尊厳を無視した残忍で残酷な行為をご覧になられ心を痛められていた。そして、良い方策はないだろうかと臣に求めたところ野見宿禰が進み出て「すぐに適切なことを相談して奏上します」と申し上げ、出雲の国(野見宿禰の出身地)に使者を派遣して土部を呼び寄せ、土で人・馬・種々の物の形を造り「これからは、この土物を生きた人に換えて、御陵に立てることを後世にきまりといたしましょう」と申し上げ天皇に献上した。  天皇は、たいそうお喜びになって「お前の適切な処理は我が意を得たものだ」とおっしゃり、すぐにその土物を皇后の墓に建てた。そこで土物を埴輪と名付け、そして「これからは、御陵に必ずこの土物を建てて、人を損なうな」とおっしゃった。これが埴輪の起源であり、これにより悪しき習慣である殉死が無くなったと伝えられている。

2.「人間形成」と「社会貢献」
 野見宿禰の足跡を「人間形成」「社会貢献」と、「精力善用」「自他共栄」の共通性という面から検証すると「人間形成」:「力比べ」において、柔道のルーツとは言え、競技スポーツではないので相手の腰を踏み挫いて殺してしまった勝負の非情さ残忍さは別として、一方的に勝利した野見宿禰は日本で最強の力士である。これは力士として自己の能力を高めるため日々の研鑽の賜物で、これによって力士としての自己を形成、完成させた結果であり、これは柔道における「精力善用」と同様であると言える。  「社会貢献」:命を尊び、慈愛に満ちた心の広い人で、天皇のお側にお仕えし、当時、悪しき習慣とされていた殉死の代わりに、土物を生きた人に換えて埋葬する方法を天皇に奏上し、実行することにより多くの人命を救った。このように国民のためになるような意見を奏上し、実行する行動力は、「社会」に対し大いに「貢献」していると言え、これについては柔道における「自他共栄」と同様である。このように、野見宿禰の業績は柔道のルーツとして術技だけでなく、精神も含めたものであるのではないかと思われる。

3.本県の取り組み
 本県柔道連盟は昭和25年4月に創立され、本年で65周年を迎えた歴史と伝統を持ち、登録者数が平成27年1月現在、東京、大阪、愛知に次ぐ全国4番目の8043人(内31.3%の2520人が小学生あるいは未就学児の登録)を擁する組織である。 本県では、「返事・挨拶・後始末」という教えが、以前から引き継がれている。  「返事」:相手の目を見ながら大きな声で「はい」「いいえ」という意思表示ができること。また、自分の意見をはっきりと相手に伝えること。  「挨拶」:「おはようございます」という日常の挨拶から「ありがとうございます」という感謝と相手を敬う気持ちを込めた挨拶ができること。また、常に思いやりの気持ちで相手に接すること。  「後始末」:身の回りの場所の清掃、トイレのスリッパ等の環境整理を心がけ、次に使用する人に気持ちよく、すぐ使用できるようにすること。これらのことを柔道修行を通して、自然に身につけ、日常生活においても自然に実行できるようにという教えであり、これは柔道を修行する青少年だけでなく、我々指導者の戒めにもなっている。  これにより、元気で礼儀正しく、品格そして思いやりのある青少年を育成し、社会に送り出そうという取り組みである。保護者、修行者が一丸となって長年にわたり推進しており、徐々にではあるが手応えを感じ始めているところである。  また、柔道人口の拡大のため、魅力ある柔道の推進と環境づくりについても積極的に取り組んでいるところである。

4.終わりに
 現在、「勝利至上主義」に傾きかけた柔道を、嘉納治五郎師範が理想とした「精力善用」「自他共栄」の根本精神の下、「人づくり」の柔道に立ち返るため老若男女を問わず全ての柔道家が心を一つにして取り組んでいるところである。  5年後には東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることが決定しており、いろいろな意味で内外からの注目度は更に高まると思われる。日本が世界に誇れる伝統的な文化として、「武道としての技術に裏付けされた素晴しい柔道」と「人づくりの柔道」を内外に発信していかなければならない。
(埼玉県柔道連盟会長)

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