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今月のことば

2017年10月号

恩師の揺るぎない情熱指導 名門天理高校で培った柔道精神

諸井三義

はじめに
 戦後復興の途上、高度成長の原点となった東京オリンピックが昭和39(1964)年に開催された。終戦から19年、経済発展に力を注ぎ一丸となって日本を世界に発信した大会だった。そして3年後には2回目の東京オリンピックが開催される。
 私は今年の4月、神奈川県柔道連盟会長に就任した。今この立ち位置にいられるのは、嘉納師範の教え、真の柔道をご指導頂いた恩師加藤秀雄九段のお陰である。卓越した指導力を持つ先生だった。
 昭和39年4月、私は柔道を志し憧れを持って天理高校に入学した。寮生活が始まった。道場は奈良の古墳に囲まれた盆地に位置し、夏は猛暑で、藺草の畳は弾力がなくなり受身に痛さを感じ、冬は乾燥して畳が滑るため、如雨露で水を撒きながらの練習であった。
 この昭和39年はオリンピック開催年ということもあり、天理大学柔道場ではオランダのアントン・ヘーシンク氏が、日本の強豪選手たちとオリンピック前の合宿で稽古をしていた。高校生として見取り稽古で参加した私は、ヘーシンク氏に手招きされ袈裟固で抑え込まれて、稽古というより遊んで頂いた思い出もある。その威圧感に半端ないものを感じたのは言うまでもない。
 加藤先生は、生まれ故郷である北海道に新設された旭川竜谷高校に昭和35(1960)年4月に着任され、2年後の昭和37年には北海道地区を制しインターハイに初出場させた。先生の指導力は高く評価され、昭和39年4月に北海道から呼び戻され、天理高校保健体育科教諭として赴任し、柔道部を率いることになる。奇しくも私が同校に入学した年で、当時の天理高校は昭和37(1962)年のインターハイで初優勝、昭和38(1963)年には2連覇を達成し、新聞やテレビで報道されるほどであった。

指導理論と心構えの核
 加藤先生の指導者としての心構えの核は、「柔道修行の目的は人間形成にある」ということだった。つまり柔道を通じて人を育てることに主眼をおいた指導をされたのである。柔道修行においては、健康に恵まれることが神の守護であり、それによって厳しい鍛錬修養ができると諭された。
 天理柔道の育ての親である天理教の中山正善二代親柱様が命名した火水風寮(柔道寮)、そして隣の道場、ここが我々の柔道修行の場であった。天理柔道の火水風とは神様のご守護を意味している。天理教では、親神様のご守護の理を十に分け、そのうちのほとんどが火水風の働きであると説いている。火は人間の身の内のぬくみ(一般には火)、水は身の内のうるおい(一般には水)、風は身の内の息吹(一般には風(空気))である。

指導体制の確立
 先生の教えは、柔道はただ強くなればいいというものではなく、柔道は人生修行そのものということだった。天理教の信仰にも通ずる考えである。先生は生徒と寮で生活を共にしており、生活面と信仰面での指導が欠かせないとその教えを徹底された。また、複数の指導者による体制を基本とし、同時に指導者としての心構えも教え込み、集団指導体制を確立された。指導者は常に話し合いを持って、目的は人間形成にあるという方針を確認し、指導者の心がひとつにまとまることに心血を注がれ、天理柔道を継承する使命感に燃えたのである。
 先生が着任された1年目の昭和39年のインターハイは惨敗、2年目の昭和40(1965)年インターハイは南筑高校に惜敗し準優勝。しかし3年目の昭和41(1966)年インターハイは鹿児島実業高校に完敗した。天理本命とされたが、寝技で対等に戦えば勝機は充分と見て対戦を意識し、先鋒と大将のメンバーを変更した。結果は変更した2人が寝技で負けたのであった。
 2対1となり、大将が引き分ければ天理が勝つ。とにかく積極的に攻めないで持ちこたえれば。誰もがそう思った。しかし果敢に攻めた。取りつかれたように攻め、技を連発した。この大会のためにだけ耐えてきた3年間の苦しい練習、勝つため、攻めるために重ねてきた練習で蓄えてきた力をもってすれば、現状維持は簡単であっただろうに。天理の激しい攻めに相手は逃げ回って場外へ出ることが多く、見かねた審判員は場外「注意」の反則を与えた。このままいけば勝ちであったが、それでも攻め、そして一瞬の隙を衝かれ、抑え込まれたのである。
 当時の新聞は、「この戦法が天理の柔道である。徹底して教えこまれた「一本」を目指す攻撃の柔道、それを忠実に守った戦いであった」と評した。己を知り相手を知ることの大切さを身にしみて感じた。先生は己を正しく見る真の寝技を知る何かが欠けていたとも諭された。
 4年目の采配、昭和42(1967)年インターハイは熊本の鎮西高校に惨敗。先生は、指導者として、真の柔道を知る上でもっと苦労し研究しなければならないのではないか、指導の何かが足りない、真の柔道の教え天理柔道の教えは何か、と自問し、新たな人つくりの稽古を念頭におかれたと云う。
 5年目、昭和43(1968)年の大会で悲願の全国優勝を果された。

努力と研究そして妥協しない稽古
 優勝を逃したとき、どうしたら勝てるのか先生が真剣に考えたその解答は、天理の柔道、既にその中にあったのだという。信頼と絆、生徒の力を正しく知り、相手の力を分析し、その上に立って的確な指示をする、これが解答だったという。
 指導者と生徒がお互いに練習を続けてきた中から、正しい判断や指示を素直に聞かせたり聞いたりする態度が生まれ、優勝とはこんなふうにしてやってくるのか、確かに獲得するものではあるが、最大の努力、練習をした結果、必然的に入ってくるものと感じたという。
 加藤先生は平成25(2013)年1月、75歳で残念ながら亡くなられたが、輩出した選手は全日本選手権やオリンピック、世界選手権などで活躍した藤猪省太氏、野村豊和氏、細川伸二氏、正木嘉美氏、野村忠宏氏、穴井隆将氏など数多い。さらに先生は天理高校を率いてインターハイ優勝11回・準優勝3回、高校選手権優勝5回・準優勝3回、国体優勝2回の栄光の実績を残されたのであった。

恩師の教えは今に生きる
 私にとって初心の教え、恩師の教えは社会に通ずる神のことばである。栄光を勝ち取り頂点に立った覇者は「絶対に負けない」の精神で戦う。勝ちたい、負けたらどうしようではなく、勝敗は日頃の研鑽努力の積み重ねの結果であり、絶対負けない精神力の習得、それは稽古量の差かもしれない、が肝要であるということである。

おわりに
 組織を継承し、この位置に立ち思う。世界に普及した柔道、しかし本質とも言うべき教育面が薄れている現状で、組織的に方向を示す立場の者が変わらなければならないことを柔道人として肝に銘じている。
 次代を担う社会に役立つ青少年の健全育成を目指し、柔道精神の尊重と国際社会に貢献することができる人材を育てる組織つくり、前任者の意思も引き継ぎその任に邁進している。
 揺るぎない世界の頂点に立つ日本傳講道館柔道の益々の隆盛を祈念する。

                              (神奈川県柔道連盟会長)

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