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今月のことば

2004年08月

1896年と21世紀を支えた三人

冲永 荘一

 いよいよアテネ・オリンピックの開幕である。何はともあれ、男女七階級十四名の選手が出場する柔道はもちろんのこと、日本選手団全員の活躍を大いに期待したい。
                   ◇
 さて、標題の一八九六年とは、いうまでもなくフランスのピエール・クーベルタンの提唱により、アテネで第一回オリンピック大会が開催された年である。しかし、この年が記念すべき年になるのはクーベルタンだけではなかった。彼同様、20世紀を支える二人にとっても節目の年であった。
 その一人はスウェーデンの科学者で事業家のアルフレッド・ノーベル。彼は同年、鬼籍に入ってしまったが、残した遺言状がすごかった。彼の遺産を使って「人類の福祉にもっとも具体的に貢献した人々に毎年賞を贈る」こと、すなわちノーベル賞の設置が年の内に決まったのである。
 授与は五年後の1901年からだが、これまでの物理、化学、医学・生理学の自然科学三分野におけるノーベル賞受賞者とその業績を見ると、まさに20世紀の科学の歴史そのものである。したがってノーベルは、世界の科学を支えた、いやいまも支えている男であり、その出発点はオリンピックと同じ年ということになる。

 もう一人は、アメリカのヘンリー・フォード。<自動車の生みの親はベンツ、育ての親はフォード>とよくいわれるが、この1896年こそ、自動車実用化元年になった。フォードは自分で作ったハンドル、エンジンをのせた自動車第一号でデトロイトの町をさっそうと走ったのである。
 彼は後に、「神から与えられた屋外の空間で少しでも多くの家族が楽しいひとときを」と、ベルトコンベアを利用した自動車の量産システムを確立、名車、T型フォードを造り、売りまくった。
 フォードは、「大量生産と大量消費」の演出家であり、まぎれもなく二十世紀の経済システムを産んだ立役者。その出発点もオリンピックと同じ年であった。

 では、「オリンピックの父」、クーベルタンはオリンピックによっていったい世界に何をもたらしたのだろうか。
 オリンピック憲章にある「より速く、より高く、より強く」の競技力の向上は、一目瞭然だが、もちろんそれだけではない。 キーワードは、アメリカの司教の言葉を引用して訴えた「オリンピックで重要なのは、勝つことではなく、参加することである」。競技力のスポーツと社会力の教育の結合、平たくいえば、スポーツの人間化だと、私は思う。
 その意味で「精力善用・自他共栄」の柔道の精神に相通じ、クーベルタンが嘉納治五郎氏をアジアで初のIOC(国際オリンピック委員会)の委員に選んだのも納得がいく。
 そしてクーベルタンの「人間化」の精神は、特に次の二つで花開いた。

 ひとつはオリンピックへの男女共同参加、それを通しての女性の権利の拡張である。第一回大会こそ古代オリンピック同様、「女人禁制」であったが、第二回のパリ大会以降は女性も参加。回を重ねるごとに女性の割合は増えている。今大会など、日本選手団は男性よりも女性の方が多いと聞く。男性の立場からすると、ちょっぴり淋しい気がしなくもないが、素晴らしい時代の到来に拍手しないわけにはいかない。

 もうひとつは、障害者の参加、すなわちパラリンピックの開催である。1960年に誕生し88年のソウルオリンピック以降はオリンピックと同じ開催地で行われてきた。 今回も九月中旬からアテネで開かれ、140の国や地域から四千名もの選手が集まるのだからなんともうれしい。なお、わが国の選手団は、64歳の女性から16歳まであわせて163名。柔道選手は、新種目女子柔道を含め七名が参加する。全員がアテネで、世界の仲間と素晴らしい日々を送ってほしいものである。
                    ◇
 1896年にスタートを切った三人。しかし21世紀、彼らが築いたものは、それぞれ課題に直面している。
 ノーベル賞は自然科学の受賞対象が当初の基礎科学から応用科学へと宗旨替えしつつあるし、自動車は環境から交通事故までたくさんの宿題を残している。オリンピックもまた、クーベルタンの願いとは裏腹にテロリズムのターゲットにさえなっている。
 この課題を乗り切る事こそ、今世紀に生きる私たちの宿命、まずもってアテネのオリンピックとパラリンピックが無事に閉会式まで迎えられるよう世界が心をひとつにすることを願うばかりだ。

(東京都柔道連盟会長)

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