今月のことば
2016年2月号
心に残るフェアプレー
火箱保之
1964年の東京オリンピック柔道競技の無差別決勝戦、オランダのアントン・へーシンク選手と日本の神永昭夫選手の試合後の、優勝者ヘーシンク選手の態度と行動は記録映像を通していつまでも心の中に残っています。相手を敬う謙虚な礼と、敗者を思い遣る態度が見事に表れていました。この時、オランダ関係者が歓喜のあまり畳に上がり駆け寄ろうとするのを勝者は厳しい顔で手を前に出して制止しました。この一連の行動は日本の伝統的な武道から発展した講道館柔道の真髄を見事に体現したものだと深く感銘を受けました。彼及び外国人選手にとっては長年の悲願である打倒日本柔道だったと思います。オリンピックという最高の舞台で達成した彼は、観衆や各メディア等を通して誇らしくアピール出来たと思います。しかしそうはしなかった。より慎み深く、感謝をこめて真摯に勝利を受け止めているようでした。試合開始時に威風堂々両手を高々と挙げた姿は驚くばかりの迫力がありました。必勝の自信が溢れ出ていました。また、戦い終わった両雄の態度は実に清々しいものでした。勝者は実に謙虚に、敗者には相手を称える気持ちが十分に表れていました。
昨今、勝者のガッツポーズについては観戦者や識者から度々指摘されます。伝統的な大相撲でも外国人力士が問題視されたことがありました。他の多くのスポーツ種目の中では極当たり前の表現となっています。スポーツは夢と感動を与えるものであるとすれば、自分の中の達成感を観衆と共有するという意味はあると思います。対人での格闘競技等においては相手の人格をも含めて戦った結果であり、勝敗を超えてお互いを称えあう姿には感動があります。観衆を巻き込んで敗者の気持ちを無視した単なるアピールは厳に慎まなければならないと思います。
こんな話もありました。ある時期、日本プロ野球球団に所属した外国人のホームランバッターが、絶好のチャンスで勝負を決するホームランを打ちました。試合終了時のインタビューで、淡々とした足取りで塁をまわる彼にレポーターが「あまり嬉しそうではなかったですね」と質問すると、返ってきた言葉が「打たれた相手のピッチャーのことを思うと派手には喜べないよ」でした。その後もホームランを打っても黙々と塁を回る彼の姿を幾度かテレビ画面で見ました。人種やスポーツの種目を問わずこの様な究極的な場面において、惻隠の情と云う使われ方もありました。近年このような言葉が死語になりつつある現実は寂しいものがあります。
スポーツ全般に亘って、先ず厳然としてルールがあります。これを遵守することは当然のことです。それに加えてマナーやエチケットという付加価値を学び身に付けるはずです。それを社会生活の中に還元できたとき初めてスポーツの価値が見い出せるものではないでしょうか。全日本柔道連盟が推進するMIND活動の礼節・自立・高潔・品格は、柔道を通した人間形成の理念であり、日々心掛けてこそ初めて到達する境地でもあります。
ヘーシンク選手の優勝によって柔道は世界のスポーツとして発展してゆくことになりました。体重無差別で行われていた第1回(1956年)、2回(1958年)世界選手権では、彼はまだ大きな成果を出していませんでしたが、1961年のパリの世界選手権では外国人初の優勝を果しました。その大会で破った日本選手は当時日本を代表する最強の選手たちでした。その後日本での練習場所として当時私が在学していた天理大学に我々の恩師松本安市先生の指導の下に長期に滞在していました。彼は丸太棒を使ったトレーニングを考案したり、グランドでのサッカー等を早朝のトレーニングに取り入れたり、様々な工夫をこらしていました。松本先生は東京オリンピック柔道の監督として日本の候補選手の強化合宿を度々天理大学で行っていました。外国人選手たちも日本のトップクラスの選手に交って貪欲に練習を重ねていました。長期に亘り滞在した東京オリンピック80kg級2位のホフマン選手(東西統一ドイツ)やミュンヘンオリンピック93kg超級2位のグラーン選手(西ドイツ)等の意欲、忍耐、探求心に大きな刺激を受けました。先生は彼ら外国人選手の練習、衣食住の生活にも私たちと全く同じ内容を課していました。
その後ヘーシンク氏には2度お会いできる機会がありました。1度目は2003年の11月に京都の国際日本文化研究センターでの公開講演会を拝聴し、近辺に在住している同時代に天理大学の道場で学んだOBたちと尋ねました。2度目は2009年のオランダ・ロッテルダムでの世界選手権の時、国際柔道研究者会の学会に出席した我々一行に時間をとっていただき夕食を共にしました。私は予め用意した天理大学滞在中の写真を手渡しました。その折に彼の著書「柔道JUDO―社会的側面と生体力学的原理にもとづく二つの私論―」をいただきました。そして日本で覚えた歌謡曲の一節をご披露いただき和やかなひと時をすごしました。松本先生は、自分を尊敬し指導を仰ぎに来日したヘーシンク選手が、自分の率いた日本柔道を圧倒的に倒すことになったこの運命をどのように感じていたのでしょうか。なおヘーシンク氏は2003年3月に国士舘大学から名誉博士号を、同年の叙勲において日本国政府より勲三等瑞宝章も授与されています。
(京都府柔道連盟会長)
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