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今月のことば

2009年02月

北京オリンピック(テレビ)観戦記

北   哲郎

はじめに
 柔道競技が終了して間もなく、多くの柔道ファンから率直な意見や様々な質問を頂いた。
 「柔道が随分変わりましたね。まるで柔道衣をきたレスリングじゃないですか」
 「礼儀、礼節はあれでいいのですか」
 「背中をついて転んだだけで一本ですか」
 「勝者が派手なガッツポーズをとっているじゃないですか」
 「柔道の技は、柔道衣を掴んで掛けるものでしょう」
 「審判員に対する日本の指導の役割はどうなっているのですか」
 「もう国際JUDOから離れ、日本柔道(武道)を守った方がいいのではないですか」
 「本来の柔道精神、柔道技術に戻せないのですか」
等々、百家争鳴の観を呈し、その対応には困惑する程だった。地元の南日本新聞にもたくさんの投書が寄せられ、その一部が「よろん欄」で紹介された。
 私自身も、メダル数や勝敗にこだわる社会の風潮に疑問を感じていたので、私の考えを役員会に提起し、皆で意見を出し合い、「今後の柔道の課題について」一定の理解と合意を得たので、それらを取りまとめ、地方から発信したいと思う。

北京オリンピックの感想と今後の課題

1.勝利した選手がガッツポーズなどを繰り返し、なかなか開始線に戻らない。審判員に何度も促され、ようやく礼をしたかと思ったら、会場内で柔道衣を脱いで喜びを表そうとする姿が見られた。また、日本代表選手に相応しくないガッツポーズ、顎鬚等が見られ不快感を覚えた。
  メディアによって、家庭の茶の間までそれらの光景は映し出される。これらのことは、現在展開中の「柔道ルネッサンス活動」に大きな影響を与え、ルネッサンス活動を推進中の現場では、矛盾を感じ困惑もしている。
  鹿児島県柔道会では、次の武道の礼法(文部科学省『柔道指導の手引』から引用)を浸透させるべく鋭意努力している。

  我が国の武道における「礼」は、スポーツにおける行動の仕方とは異なったとらえ方がある。
  武道では、試合などにおける激しい攻防の後、まだ心理的な興奮が静まっていないときでも、その興奮を抑えて、正しい形で丁寧な礼を行うことが求められる。礼を重んじ、その形式に従うことは、自己を制御するとともに相手を尊重する態度を形にあらわすことであり、その自己制御が人間形成にとって重要な要素であると考えられているのである。

2.アテネオリンピックにおける「一本を取る」日本の柔道は、日本の国民ばかりでなく世界の柔道ファンに、柔道の素晴らしさと大きな感動を与えた。
  ところが、今回の北京オリンピックでは重圧に押し潰されたのであろうか、持てる力を発揮できないで、「足取り」で一本負けする選手が目立った。指導者や選手は、海外遠征や国際大会を重ね、国際JUDOの動きを十分理解、研究していたであろうにと残念であった。

3.テレビ解説で思ったことは、試合の攻防をじっくり見たいのだが、ラジオ実況なみで耳障りな面が多々あった。審判の判定についてまで批評する必要はないのではないか。一考を要する点である。

4.メダル受賞者の言葉の中に、師匠、監督への感謝や自分のために頑張った、親としての仕事など身近な事への発言が目立った。
  もっと、日本を代表している柔道選手としての自覚、責任感、誇り、感謝の言葉が欲しかった。また、表彰式での日本の国歌が流れているときの姿勢についても決して良しとは言えないところも見受けられた。思いすごしだろうか。

5.日本柔道の今後の最大の課題は、柔道人口(愛好者)を増やすことだが、オリンピックの強化対策としては、長期的な計画で小、中学生を発掘して、専任コーチをつけて長期的に育成していくことである。

6.アテネオリンピックに比べ、柔道の競技や審判技術に見劣りを感じたが、IJFに日本の代表理事がいなくなったことも一因だと考えられる。
  正しい柔道の発展のためには、何としても教育・コーチング理事の復活を果さなければならない。

むすび
 今や柔道は、世界に普及発展し、競技面ばかりがクローズアップされ、勝負に勝つことのみに価値が求められているように感じられてならない。
 嘉納治五郎師範の柔道の魅力は「一本で決める」という気魄と技の冴えであり、それに勝っても驕らず、負けても挫けず、常に相手を尊重し、敬意を表す礼法があることだと思う。
 我々柔道指導者は、嘉納師範の「人間教育」を目的とした柔道の原点に立ち返り、柔道の普及発展に寄与する責任と使命があることを忘れてはならない

(鹿児島県柔道会会長)

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