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今月のことば

2023年2月

県柔連会長に就任して、この一年

平間哲雄


はじめに
 18年の長きに亘って宮城県の会長を務められた佐藤幸二会長が勇退され、私が令和4年3月、後任に選出されました。これまで本県の会長は全日本選手権大会で活躍された方々や実業界の大御所が就任されていましたので、そのような経歴の無い私が引き受けて良いものか大任を託され気が重くなるのを覚えましたが、お引き受けすることに致しました。年度初めの役員改選では、若い元気な方々を常任理事、理事に起用し、時代に合う組織づくりを行いました。様々な不安を抱えての船出でしたが、役員の方々の熱意と協力で、大過なく運営をしております。
 昭和24年に宮城県柔道連盟が立ち上げられ、以後50年以上、東北柔道連盟の事務局も兼ねていました。現在は東北6県で事務局を持ち回りで担当していますが、近い将来1巡目が終わり、再度本県に戻ってくる予定になっています。事務局の開設以来、仙台市内の雑居ビルの一室を借りて、2~3名のスタッフが常駐し、県内をはじめ東北の柔道関係の業務を担当していました。狭い部屋には膨大な資料が山積みとなっていますが、間もなくこの古いビルが解体されるということで、近所の賃貸物件に移転することになりました。いずこの県も同じだと思いますが、限られた財源で事務局を運営していますので、台所は厳しい状況にあります。通帳の残高とにらめっこをしていると、競技団体の会長ではなく零細企業の社長をしているような錯覚を覚えます。幸い事務局員のみならず、多くの役員が状況を理解し、積極的に運営に関わり協力していただいているので、本県柔道連盟は今のところ不具合なく機能しており、新米会長として安堵しております。

本県への柔道の伝来と隆盛について
 柔道の公認指導者資格制度が導入されて以来、県内の講習会において、私は柔道の創始や発展についての講義を担当して参りました。少しだけ本県への柔道の伝来と隆盛について紹介したいと思います。明治15年に嘉納治五郎師範によって講道館柔道が創始されて以来、東京から地方へ伝播して行くわけですが、宮城にはいつ頃、どんな形でやって来たのか気になるところでした。現在は東京・大阪間が鉄道の大動脈ですが、実は東京・仙台間が先に開通しています。明治政府は首都東京を築き繁栄させるために東北地方の資源、食糧、労働力を必要とし、それによって東北本線の開通が明治20年という異例の速さで達成されたのです。また戊辰戦争で政府軍と激しく戦ったのにも拘わらず、明治政府は仙台に第二師団と第二高等学校を配置しました。これ以降、東京との人の往来が活発化し、ここで講道館柔道の伝来があったものと思います。老松信一著『柔道百年』によりますと、柔道の対抗試合は記録が明確なものとしては、明治31年に行われた旧制一高(東大)と二高(東北大)の試合が最初に登場し、1回目は東京、翌年は仙台で行われています。今では2時間もかからないところを、当時の選手は15時間ほどをかけて東京?仙台を移動し試合をしたものと思います。また二高には後に十段になる飯塚國三郎をはじめ小田常胤、三船久蔵など大柔道家が指導に訪れています。宮城の柔道は旧制二高を起点に発信され、県内の旧制中学校や専門学校に伝播されたものと思います。
 本県の柔道は、戦後復興の一段落を迎えた昭和30年頃が最も華々しかったと思われます。北日本には東北・北海道対抗柔道大会というのがありまして、第1回は昭和11年に札幌で開催され、北海道樺太軍が勝利しています。以後仙台と札幌で交互に行われてきました。現在のようにスポーツ種目も多くはなく、娯楽も少ない昭和30年頃でしたので、これが途方もないビッグイベントでした。出場した古老の話では、当時仙台には大きな屋内施設がなく、何と宮城球場(現楽天スタジアム)に特設会場を設け、2万人の観衆を集め試合が行われたことを伺いました。誇張した話かと思っていましたが、拝見した白黒の古い写真にはスタジアムの上段まで黒山の人々が写っていました。今では有り得ない奇跡のような光景です。様々なスポーツが国内に普及し、平成、令和と時代を重ねるうちに、人々の気質の変化や趣味嗜好の多様化などによって、柔道に人々を引き寄せ再び隆盛をみるというのは困難であることを十分承知していますが、夢として持っておきたいと思います。

今後の本県柔道の展望について
 宮城県柔道連盟は法人化しておらず、県スポーツ協会傘下の任意団体ですが、現在2700名ほどの会員がおります。登録制度がスタートした頃は5000名を超えておりましたので、半分近くまで減少してしまいました。辛うじて東北地方では一番多いのですが、人口割で計算すると一番少ない県になってしまいます。県都仙台市には野球をはじめプロスポーツのフランチャイズがいくつかあり、子どもたちがそれらのスポーツに流れていく傾向があります。現在、Webやクチコミなど新旧織り交ぜた様々な方法で柔道の魅力を発信し、勧誘に努めているところです。また、市町村の柔道協会は「大人の部活」として、社会人や定年退職者に加わっていただいているのも方策の1つです。定年を迎えた方々には柔道のサークルが社会との接点になり、日々の刺激になると思います。柔道と長くお付き合いしていただける方が増えれば、登録会員も一定数保たれるものと思います。子どもが少ないなら大人を増やそうという発想の転換です。実際、登録者数の減少に歯止めがかかり、昇段者数も前年度より100名ほど増加しました。一過性のものにならないように努力を継続して参りたいと思います。
 また喫緊の課題として、業務のデジタル化があります。近年、全柔連や東北柔連から郵便での連絡はほとんどなくなり、Eメールでの業務連絡が主流になりました。しかし、県内の各支部への伝達は今でも郵便を利用しています。私自身、アナログ派の人間ですが、組織を運営する立場となると、昭和のノスタルジーから離れざるを得ません。頭を未来志向に切り替えて、増募対策、デジタル化、中学校部活動の地域移行、競技力の向上などの様々な課題に取り組み、本県の柔道の発展に尽力して参りたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。
                      (宮城県柔道連盟会長)

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