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今月のことば

2023年6月

七帝戦

小菅正夫


 聞き慣れない名称だと思う。正式には「全国七大学柔道優勝大会」といい、旧帝国大学7校だけで行われる柔道大会で、15人の団体戦である。一本勝ちのみの抜き試合で行われる。最も特徴的なルールは、寝技への引き込みが認められ、しかも途中で止められないことだろう。超弩級に対して小柄な選手が開始早々から引き込んで、そのまま膠着状態となり試合が終了するということもよくある。
 講道館柔道も国際柔道も勝利を目的として攻め合うことが基本となっている。七帝戦は団体戦しかないので、個人の戦績は何の意味もない。試合が終わった時点で何人残っているかが勝負なので、試合展開に応じて、自分の役割が変わってくる。また、自らの特性に合わせて、立技で取りに行く、寝技で取りに行く、立って分ける、寝て分ける等の様々な柔道形態を選択し、自分の判断で日々の稽古に励む。団体の抜き試合という特殊な試合形態が、それを可能としている。
 この試合形式は、大正3年に開始された「全国高専柔道大会」に源を発する。後には帝大柔道会の主催となり、当時の旧制高校と大学予科、旧制専門学校が覇を競った大会で、金沢四高が第1回大会から7連覇の偉業を達成すれば、岡山六高が第9回大会から8連覇を達成している。文豪・井上靖氏も昭和3年第15回大会に出場し、松江高校を相手に2人を抜く活躍をしている。我が北大予科も第7回大会から出場し続け、ついに昭和9年第21回大会で、松山高校と決勝で対戦、1対1のまま大将決戦となり、高橋輝信先輩が崩上四方固で抑え込んで初優勝を遂げている。因みに第24回大会では、木村政彦氏の拓大予科が優勝を果している。この歴史ある大会も、日本が戦争への道を突き進む中、昭和15年の第27回大会で幕を閉じた。
 終戦後の学制改革によって旧制高校が廃止され、高専柔道も消滅するかと思われたが、帝大柔道会OBが高専柔道の復活を願って活動し、ついに昭和27年に第1回の七帝戦が開催されるに至った。その後、令和4年までにコロナ禍によって中止された令和2、3年度を除き、71年間で69回の大会を重ねてきた。
 団体の抜き試合ということで、味方の上げた1勝を最後まで守り切れば勝ちとなる。そのためには相手の抜き役をどう止めるかが勝負の分かれ目となることが多い。特に七帝戦の試合時間は6分間、副将と大将だけは8分間となっているので、その時間を守り抜けば役割は果せるので、寝技に持ち込み二重絡みでの抱きつきや、両手両足を縮めて畳に俯せたまま守りに徹する「カメ」という戦法が広まっていった。
 筆者が出場した昭和45年?47年の頃は、開始早々に下穿の裾を握ってカメとなり一度も組むことなく試合が終了することも普通に見られた。これでは、どんなに立技が強くても投げることは難しい。そこで、「カメ取り」の技術が研究されることになる。自分の身体を相手の下に入れて、腹の上に乗せれば、そのまま回転して抑えることが出来るし、横三角絞から崩して抑込技、絞技、関節技に攻める方法、送襟絞を狙いつつ、抑込技や関節技に移行することもできる。このように、各大学は様々なカメ取りの研究を続けていた。今ではどの大会でも見られる横三角絞は、木村政彦氏を擁する拓大予科が高専大会優勝のために開発した技だそうだ。新技の開発は、七帝柔道に入っても続けられ、平成3年に京大柔道部の遠藤氏がSRTと呼ばれる抑込技を開発した。北大柔道部はSRTを徹底研究し、複数の入り方を各人が習得、この技を駆使して平成13年と14年に連覇を果している。今では、国際柔道でも「腹包み」と呼ばれ、よく使われているので知っている人も多いのではないだろうか。
 しかし、このカメ戦法がルール変更によって「一方がうつ伏せてカメ状の形をとり両者が攻める意思がない場合」に試合が止められることとなった(七大学柔道大会試合審判規定第23条)。カメから立って再開することが求められ、開始直後の引き込みに合わせた立技で勝負が決まることが見られるようになった。これによって、筆者は伝統的なカメ取りの研究が停滞することを危惧している。身体が小さく運動神経も芳しくない者が、試合で自分を表現できる場がなくなることで、七帝戦の持つ多様性にも大きな影響を与えてくると思われる。
 柔道は、自らの心身を鍛練する修行である。立技に比べ寝技は、理論的に学べる技が多く、様々な変化を独自に研究・開発することができる。それらの技術を多く知っているほど、守りにも活きてくる。また、寝技の勝負は瞬時には決しない。たとえ抑え込まれたとしても、30秒の間に解ければ良い。実際に七帝戦では抑え込みを29秒までに解かれることがよくあり、そのことが味方の闘志を奮い立たせ、勝敗を分ける一戦となることも多い。筆者は、寝技は「諦めた瞬間」に極められてしまうと考えており、この寝技の稽古で育まれた「諦めない精神」が、社会に出てからも、自らの役割を判断し、独自の発想で社会に貢献できる人材となる基盤となってくると思っている。
 高専柔道から七帝柔道まで、100年を超す歳月の中で、多くの学生たちが自らの意思で自己研鑽に励み、己に克つこと、「練習量がすべてを決する柔道」を目指して稽古に打ち込み、徹底的に自校が勝つことに拘って戦い続けた歴史が今も息づいている。しかし、昨今の柔道人口の減少に伴い、七大学の部員数の減少も著しく、昨年の仙台大会では、登録選手20名を満たしたのは北大のみで、2校が15人を揃えることが出来ないまま試合に臨まざるをえなかった。しかも2年生以上で試合を組めたのも北大のみであった。このことが大雑把な試合を生む要因となっており、昨年も1人で6人を抜き去る選手が出てきている。これでは七帝戦の意義も薄れてしまいかねない現状となっている。
 柔道は、すでに世界のスポーツとして確固たる地位を得ている。しかしながら、日本の柔道人口は、ブラジル、フランス、ドイツに及ばず、最近はさらに減少を続けている。日本では、柔道は勝たなければ意味のない競技となっていて、オリンピックを頂点とする天才が覇を競うものと捉えられているからではないだろうか。柔道は、肉体と精神を鍛えるには最適の道であると思う。多くの若者が学生時代の一時期でも柔道に打ち込むことを勧めたい。中でも七帝戦の世界に自分を投じてみてくれることを願っている。
                 (札幌市円山動物園参与・旭山動物園元園長)

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