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今月のことば

2007年11月

新武道館建設をめざして

二戸 昭夫

一、はじめに
 山形県柔道連盟において、当面の課題は武道館撤去問題とそれに替る新たな武道館建設ではないでしょうか。昭和四十三年に県体育館に隣接し県武道館として建設されました。県都のほぼ中央に位置する霞城公園の中にあります。交通アクセス利便性が良く小中高校生・一般の稽古場として、合宿・各種大会等県柔道連盟のホームグランド的道場であり数多くの優秀な選手を送り出してまいりました。しかし平成十六年一月二十八日山形県新聞に霞城公園進む整備と大きな見出しで、平成十六年はプール、平成十七年はテニスコート、平成十八年県体育館・武道館撤去、観光拠点として二十年後完了とこれまでの運動公園的機能から観光の拠点となる文化公園への移行が本格化すると発表されました。これに替る武道館の代替施設は既存の施設を利用する。驚いた当時県柔道連盟会長・板垣英雄、理事長・故藤巻忠昭は県柔連にとて一大事、死活問題であると立ち上がったのであります。

二、霞城公園について
 ここで県武道館のある霞城公園について説明させていただきます。県のスポーツ施設の拠点霞城公園は市街地のほぼ中央に位置し、昭和六十一年に国の史跡指定を受け約三十五.九haの面積を有する山形城跡の都市公園です。歴史をさかのぼると、一三五六年頃斯真波兼頼が築城したのが始まりとされています。その後、子孫の最上義光時代に三重の堀を有する壮大な城に拡張し最盛期には五七万石の大領国となりました。最上氏改易後、鳥居忠政により大改修(一六二三年頃)されたと伝えられ、現在の霞城公園の堀や石垣はその頃の姿を示すものとされています。昭和五四年に市制施行九十周年記念事業として霞城公園の歴史的価値を見直し山形の歴史のシンボルとなる公園に整備することにし本丸にあった御殿や門、隅櫓 など山形堀の勇姿の復原を図りながら公園の整備を行なっております。 現在はすでにプール、テニスコートは撤去し公園とし整備され、野球場、弓道場、体育館及び武道館は現在も利用されている状況にあります。

三、県武道館撤去と代替施設運動
 県教育庁が山形市の計画通り武道館を撤去することを決めたことを受け県武道館利用者の会(発起人代表 前県柔道連盟会長・板垣英雄)を平成十六年二月七日立ち上げ、剣道、空手、合気道、少林寺拳法など県武道館を利用する競技団体で組織する県武道館利用者の会第一回会議を開催しました。これと並行し、県体育館利用者団体と代替施設の建設と施設利用の延長を求める団体と歩調を合せ活動することも決定されました。平成十六年五月二十日第一回評議会が開催され新しい体育施設を求める連絡協議会を結成、武道館代表・板垣英雄、体育館代表・長谷川孝雄、小生は事務局の一員として参加し上層部の並々ならない熱意を感じ活動が開始されたのであります。

主な活動内容
 (一)署名活動
 事務局は月数回の話し合いの場を設け全体会議には市議・県議のアドバイスを受けながら活動が進められました。市議団から署名活動の必要性が話し合われ、平成十六年六月から八月末まで最低十万人の署名名簿と三〇〇団体の署名の目標が提示された。柔道連盟では武道館代表者が県柔道連盟会長であり目標の一割一万人の署名と二五〇団体の署名活動を目指したいと各会議の席上で趣旨を説明し、また各種大会でも署名活動をお願いしました。柔道連盟は一万人の署名と二五〇団体の署名を得られ、最終的に総合計で約五万人の署名名簿と三〇〇団体の署名を得ることができました。
 (二)街頭活動
 山形市中心街七日町での各団体総出の街頭活動、各スポーツ少年団、道衣など着用しての広報活動・広報チラ紙の配布・署名活動・マイクロホンを手にしての広報などが行われました。
 今は亡き病魔で倒れた故藤巻忠昭理事長、今は自由に外出もままならなくなった代表者・板垣英雄会長の勇姿が思い浮びます。大勢のマスコミが街頭活動を取材しテレビ・新聞等で活動が報道され大きな反響もあり効果のあった活動となりました。
 (三) 県知事に対する要望書
 山形市においては、昭和六十三年十二月二十一日にスポーツ都市宣言をしております。霞城公園整備の進捗に併せ、現在公園内にある体育施設が移転整備などに追られている状況にあります。これらの施設が霞城公園から撤去されれば市民にとって大きな損失となります。これらの施設は中心街地にあることから、どの地域の小中学生でも自転車や公共交通機関を利用することにより、アクセスしやすく、利便性に優れております。これらの観点から現在霞城公園にある県立体育館・武道館に替る新たな施設は山形市中心部に必要不可欠なものであると考え設置を要望する主旨の要望書を提出したのであります。

四、むすび
 平成十六年十二月三日県知事に対して代替施設のめどが立つまでは(体育館・武道館)は残してほしいと要望書と約五万人の署名簿を一括提示しました。前高橋知事は大勢の署名簿ですね「山形市に対し解体工事を延期するよう要請する」と答えられ一歩前進したものと思いました。しかし平成十七年二月二十三日山形市長との最後の対話会では二ヵ月以上の延期は困難であり平成十八年度後半(十九年一月〜三月)に体育施設を取り壊し撤去するとの説明であり交渉もこれまでと思っておりました。ところが、平成十九年二月十六日県体育施設は当面は存続する方針が突然決定されました。施設利用者からの存続を求める声が強く存続に決まり県と市は、今後国に整備計画の延期を申し入れ存続することにしたのです。県体育施設(体育館・武道館)の関係者が誠心誠意存続を求めた声と一致団結した交渉が整備計画の延期となったものと思います。間もなく体育館・武道館の耐震工事に入ります。当分の間利用可能となりました。しかし取り壊し撤去問題は今後必ず浮上する問題です。県柔道連盟としては公園整備はそのまま進められ県体育館・武道館を取り壊した跡地に新しい体育施設を作り、駐車場の問題は隣接する旧県立病院跡地に駐車場を造成し、後世に残る新たな武道館建設をめざすべきと思っております。

(山形県柔道連盟副会長)

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