HOME > 今月のことば > 2011年04月

今月のことば

2011年04月

集中した稽古が原点

中谷雄英


 私が柔道を始めた小学6年生の頃を振り返ってみると、身体を良く動かして遊んだことが思い出される。建築中の家の二階から下の砂場に飛び降りたり、学校の教室不足から、二部授業(午前授業と午後授業の人に分かれていた)のため、午後からの授業のときは午前から学校に行き、運動場を裸足で走り回ったりして遊んでいた。
 生活も現在とは大きく違い、車も少なく乗り物を利用することは滅多になかった。4km程度の距離は当然のように歩いていた。歩く、走る、跳ぶ、投げる、泳ぐ、持ち上げる、運ぶ等、これらは日常生活の中で、自然に身体を鍛えることにつながっていた。
 柔道が強くなるには稽古をしろ、つまり「打込や乱取で力をつけろ」であった。現在のようなトレーニング器具を使った練習は行わなかったが、腕立て伏せ・腹筋・背筋・兎跳び等はよく行った。それだけでなく、いつも頭の中は柔道のためになることは何でもやろうと思っていた。アルバイトするにも材木を運ぶなど身体を鍛えることのできる仕事を選んでいた。

 大学生になってから、あの「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と評され、「鬼の木村」の異名を持つ、「三倍努力」の木村政彦氏が、松の大木を相手に鍛え、木が枯れたという話を聞き、自分はいつも裸足で足の指を内側に曲げるようにしていた。食事の時でも足の指を床につけて内側に曲げるようにしていた。私は小外刈が得意技だったので、一度相手の足に引っかけたら外さないようにと指を内側に曲げる訓練をしていた。このような意識と繰り返しが夜眠っていても膝を立てて足の指を曲げる動作になっていた。ある日、布団のシーツを見たら足元に2つ穴が開いていた。寝ている時も無意識に足の指を立てていたため、シーツのその部分だけがすり減って穴が開いた訳だ。
 今の高校生などを見ていると、「指示待ち稽古」となっている。どの選手も同じメニュー、同じ練習時間と、指示されたことしか行わない。それぞれの個性を生かした自分の練習ができていない。これでは新しい技を見出すことは難しい。また、タイマーを使った練習一つにしても、ブザーが鳴るまで動き始めないし、終わりのブザーが鳴ると技の途中であってもすぐに止めてしまう。「本当に強くなりたいのか」と思ってしまう。同一内容・同一時間の練習だけでは、同じ程度の選手しか生まれてこない。木村氏ほどの稽古漬けになれとは言わないが、もっと人より努力し、研究し、意欲を持って自分独自の集中した練習もして欲しい。

 コンディションづくりにいろいろと選手も指導者も神経を使い取り組んでいるが、怪我のない状態で試合に臨んでいる選手は非常に少ないように思う。コンディション云々と言ってみたところで、怪我をしない、させないことが一番大切だと思う。その意味では、気を抜かず集中した稽古を実践することこそが最高のコンディションづくりにつながると、自分の経験から強く確信している。
 現在は、国際大会への出場チャンスも多く恵まれている。反面、危機感がなく精神的にも弱く、ここ一番に弱い気がする。私たちの時代には国際試合も少なく、出してもらった試合で一回負ければ次の出場機会はなかった。「外国で負けたら日本に帰れない」「日の丸を付けているということは国費を使っている」「外国人選手のやり始めた技は絶対真似しない」こんな選手間のやりとりが、何時しか選手同士の合言葉となっていた。ポイント制が導入され、選手を取り巻く環境は大きく変わってきたが、どこかで危機感を選手に持たせることが必要ではないだろうか。

 柔道との付き合いも60年になろうとしている。その間、素晴らしい多くの出会いがあり、友人もできた。こんな素晴らしい柔道が今の自分を育ててくれた。この柔道の心を少しでも多くの人に伝えていくことが私の使命だと思っている。私が柔道指導の心得としている「好きにさせる」「やめさせない」「ほめる」「生活の中で役立つことは何でも貪欲にやる」を引き続き実践してゆきたい。

(全日本柔道連盟理事・広島県柔道連盟理事長)

最新記事