今月のことば
2009年12月
「柔道百周年を迎えたハンガリーに招かれて」
安 齊 悦 雄
本年3月、ハンガリー柔道伝来百周年に当たり、柔道関係者の招待を受けました。
ハンガリー柔道の歴史は、1909(明治42)年佐々木吉三郎氏によって紹介され、昨年で百周年を迎えることとなり、 様々な記念行事が行われたようです。
そうした記念行事の関連でしょうか、昨年から、度々招待の手紙をいただいておりましたが、中々都合が付かず、この度の訪問ということになりました。
そして、思いがけず、ハンガリー柔道連盟から表彰されました。
その所以は、ヨーロッパ選手権初の金メダル、オリンピック初の銅メダルの獲得に尽力したほか、ハンガリー柔道発展に多大な貢献をしたことに対するものだそうです。
私とハンガリー柔道との関係は、33年前に遡ります。昭和51年、醍醐敏郎先生のご推薦をいただき、国際交流基金による海外専門家派遣として約半年間派遣されたのが始まりでした。2回目は、昭和58年、ハンガリー国際大会へ出場のため松下三郎先生を団長とした全日本チームの監督として、3回目は平成元年、阿部高弘先生とともに東欧3ヵ国(ルーマニア、ハンガリー、ポーランド)の巡回指導の際で、今回と併せて4回目となります。
当時を述懐しますと、指導者要請のお話をいただいたのは、昭和51年1月でした。 30歳、まだ強化選手に指定されていましたので、その時は、いよいよ現役も終わりかなと、若干複雑な心境でしたが、結局お受けすることにいたしました。
出発は3月、ハンガリーの情報は少なく、言葉や習慣もよく判らない状況でしたので、不安な気持ちで旅立ちました。 着任間もない頃、欧州派遣中の安部一郎先生が立ち寄られ、数日間付き添っていただいたことがありました。初の海外指導、不安一杯で始まったこの派遣が、私の柔道人生観を一変させるような、貴重で素晴らしい体験をもたらしてくれようとは夢にも思っておりませんでした。
当時のハンガリーは共産圏で、経済的にも決して恵まれておりませんでしたが、国民性は、勤勉で誠実、人情に厚く、まるで古きよき時代の日本人を彷彿させるものがありました。何よりも親日的で1週間もすると全く違和感もなくとけ込めることができました。また、大変なスポーツ王国で、サッカーをはじめ、他の多くのスポーツも世界的トップクラスで、柔道のレベルも、実際に稽古してみて、かなりのものと感じました。
ハンガリーにとって、日本の指導者は、待望久しく、その期待度は相当なもので、示されたスケジュールは朝9時から夜8時までの過密なものでした。内容は、午前・午後のナショナルチーム指導がベース、この合間に指導者への指導、夜間はジュニア指導となっており、一時も無駄にしたくないというようなものでした。つい「いつ休んで、いつ食事をするの」と冗談半分に質問をしてしまったくらいです。さらに、週末には各地の少年大会や段級審査へ行くという、まさに柔道漬けの日々でした。
そして、指導が始まると、予想通り5着の柔道衣は乾く暇もない状態。やっと一日が終わって部屋に戻り、一休みのつもりで、横になったと思ったら靴を履いたまま朝まで気付かない、といった日が何日かありました。
それでも、役員や選手たちの真剣な眼差し、何でも吸収してやろうという姿勢や誠実さに、要望のほとんどを引き受けることができたので、我ながらよく頑張ったのではないかと自負しています。それにしても、よく身体がもったものだと今でも感心しております。
5月の初めに、ソ連のキエフ(現在ウクライナの首都)でヨーロッパ選手権が開催されました。会場には、ヨーロッパ各国で活躍されている日本の指導者の方々も参集され、粟津正蔵先生、村上清先生(フランス)、村田直樹先生(アイスランド)、松下雅見先生(イタリア)をはじめ、在欧の先生方とお会いし、外国での指導方法やご意見等を拝聴することができ、経験の浅い私にとって大変勉強になりました。
このヨーロッパ選手権で、ハンガリー柔道界にとって画期的な出来事が起こりました。なんと、ハンガリー柔道史上初のヨーロッパチャンピオンが誕生したのです。
この大会2週間程前のこと、出場選手の選考で連盟と私の意見が食い違いました。ヨーロッパ選手権への選考は、自動的にオリンピックへの出場へとつながっていただけに、かなり議論され、結局「それまで言うのであれば、もう一人連れて行く」ということになり、63?級だけ2人をエントリーすることになりました。その追加したトンチェック選手が優勝したのです。私としては手応えがあっての推薦でありましたが、まさか優勝するとまでは思っておりませんでしたので、正直驚きました。
「大会に出場した者、全てに優勝のチャンスがある」当たり前のことですが、改めて再認識した次第で、この時以降、私の指導語録に入れております。
トンチェック選手は、大会終了後のレセプション席上で、最優秀選手に選ばれました。8月、カナダで開催されたモントリオール五輪へ出場したことは言うまでもありません。そして、このトンチェック選手が、これまたハンガリー柔道史上初のオリンピック銅メダルを獲得したのです。
このモントリオール五輪は、本年、講道館長・全日本柔道連盟会長に就任された上村春樹先生が無差別、そして二宮和弘先生が93?級、園田勇先生が80?級で、それぞれ金メダルを獲得された大会です。選手村や練習会場で、団長の醍醐先生、監督の岡野功先生ともお会いでき、激励をいただきました。ハンガリー選手にも憧れの日本選手との合同稽古の機会を作っていただきました。また、カナダ在住の中村浩之先生宅での日本チーム打ち上げパーティーへ五輪に参加した在外日本人指導者とともに、お招きをいただきました。
ハンガリー柔道チームが初の銅メダルを手に凱旋帰国すると、連盟事務所が今までの3倍位の大きさへと変わっておりました。 これが当時の共産圏ならではのことだと思います。 ハンガリー柔道にとって、これらの成果が自信になり、国際舞台へ大きく羽ばたいていく引き金になったと思っております。それは、その後のオリンピックでの成績で示しております。1980年モスクワ(日本不参加)で銅2、1984年ロサンゼルス(共産圏はボイコットで不参加)の時は、共産圏だけの五輪代替大会で金1、銅2、1992年バルセロナで金1、銀2、銅1と、これまでが嘘だったかのようにメダルを獲得しております。
さて、 思いがけないこの度の表彰は、まさにサプライズの連続でした。関係者からホテルで「昼食会があるから、背広にネクタイで」と言われて、何も聞かされていなかったので、何気なく出掛けると、そこには歴代の連盟会長や役員そして元コーチやメダリストをはじめ、旧知の友人達40人程が集っており、私を迎えてくれました。これには本当に驚き、とにかく再会を喜び合い、懐かしく語り合いながら昼食会が進みました。宴たけなわに、会場中央に呼び出され、立ち上って行くと、突然、表彰のセレモニーとなりました。訳もわからず、現会長のラスロー氏から表彰状とメダルを授与されました。そして、トンチェック氏のスピーチとなり、感激で思わず涙が溢れてしまいました。
ハンガリーへの指導派遣は、わずか半年余のことでしたが、今までになかった中身の濃い経験をさせていただき、これらのことが私の柔道観を一変させたといっても過言ではなく、その後の私の柔道人生の大きな糧となっております。また、ハンガリー滞在中の過酷なスケジュールのお陰か、あきらめかけていた現役も、帰国した後も、全日本選手権や全日本選抜体重別に出場するなど、34歳まで継続できたことは、逆に感謝をしたい気持ちで一杯です。
勤勉で実直、 そして人情に厚いハンガリー柔道の仲間達、20年前、ベルリンの壁が崩壊された後、国の体制が大きく変化していても、彼らは33年前と少しも変わっておりませんでした。今、日本にとって一番必要とされているこうした気概や精神を再認識し、微力ではありますが、斯道発展に尽力したいと思っております。
(静岡県柔道協会会長)
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