今月のことば
2009年01月
年頭に当たって
嘉納行光
平成二十一年の新年を迎え、心から新春のお慶びを申し上げる。
思えば早いもので、私が講道館、全柔連に勤務する様になってから今年で二十九年弱になる。就任した頃は、嘉納師範と直接接した方々が未だ未だ健在であったので、時期を失しない中に師範に関する色々な事をお聞きし記録に留めて置く事が後々の為にも必要と考え、実行に移そうとした事もあった。併しこの試みは結局実現できなかった。同様の事を父や母からも聞いておくべきだとの思いはあったが、身内のこと故何時でも聞けると安易に考えた結果、時だけがいたずらに流れて今は亡き両親から聞きたヾす事は永遠に不可能となった。この様な情況の中で、僅かではあるが師範を知る数少ない一人に私も入る事となった今、私が体験した断片的な記録、両親から聞いた事等を、以前書いた事と重複する部分があるかも知れないが、この機会に思いつくままを記す事にした。
師範は昭和十三(一九三八)年五月四日、日本郵船の氷川丸で帰国途上太平洋上で他界したが、丁度私が小学校に入学する前の年であった。当時私達は、現在の地下鉄丸の内線新大塚駅からほど近い、?台の一角の同じ敷地内に住んでいた。師範や祖母の住んでいる家を主屋(おもや)、我々の住んでいる家を離れと呼んでいた。当時の事であるから、敷地はかなり広かったと思う。庭伝いに自由に往き来ができたので、私はよく主屋の方へ出掛けた事を覚えている。私が師範の色々な場面を直接見たのは、その様な折であったと思われる。
師範は常に姿勢が良かったと云われているが、ある時師範が浴衣(ゆかた)姿で正坐している後ろに立った時、背筋をのばした師範の背丈と立ったままの私の背丈が丁度同じくらいだった事が印象に残っている。
現在、師範の銅像は講道館本館入口と、旧東京教育大跡地の占春園に建てられているが、これは戦後再建されたもので最初のものではない。最初に建造されたのは昭和十一(一九三六)年十一月で、師範の喜の寿を記念したものであった。そしてその除幕式に際しては、よく身内の幼児が選ばれる例にならってであろうか、私が幕を引いた事を今でも断片的に覚えている。この銅像は、当時我が国彫塑界の第一人者であった朝倉文夫氏によって制作され、旧東京文理科大学本館前の広場に建てられた。除幕式はこの広場で挙行された。当時師範は数えで七十七歳、私は数えで五歳であった。私はこの除幕式に出る事について、前もって聞かされた記憶は一切ない。ただ、この儀式の為に祖母が小さな紋付羽織袴一式を誂(あつら)えた事は、後になって聞かされた。
今でもはっきり覚えている事は、除幕式に出かける為であったろう、離れの我が家の玄関の上(あが)り框(かまち)に立った時、小さな草履がきちんとそろえられていた事である。そこで記憶はぷっつりと切れるが、除幕式の場面は断片的乍ら比較的鮮明である。正門を入った所の野外の広場で当日は移動用の椅子が並べられ、多くの参列者が坐っていたその中央の場所で、制作者朝倉文夫氏の介添えと云うより指示によって、私は云われるままに行動したと云う事であろう。併し私は朝倉氏について殆ど記憶していない。当日紋付羽織袴の和服であったのは間違いないと思うが、小さな子供の目からは、かなりがっちりした大きな方だった感じが残っている。瞬間的な情景としては、私に形ばかり握らせた除幕の綱が白くてかなり太かった事、そして腰をかまえてこの綱をしっかり持った朝倉氏の袖から現れた腕が太くてたくましかった事等の記憶の外に、私の出番の最後の役割として、参列者に向かって二、三回方向を変えて、ぺこぺこと頭を下げさせられたのをはっきり覚えている。
最後に云い添えると、この銅像はその後第二次世界大戦の激化と共に、国の金属回収命令により供出献納され、行方(ゆくえ)不明のまま終戦を迎えたが、幸いにもこの銅像の原型が朝倉氏の手もとに保存されていた為、同氏の手により昭和三十三年に復原され、前述の様に本館と占春園に建てられている。同銅像は朝倉作品の傑作の一つと云われており、師範を敬愛する多くの人々の要望によって制作された事を考えると、無事に復原を見た事は大きな喜びとすべきであろう。
以上述べた他、私が直接体験した師範の面影としては、多分新年の事と思うが、師範が貴族院議員として宮中参賀の為、大礼服を着て玄関から外へ歩み出てくる所や、主屋の中のがらんとした和室の中央で正坐しながら銀縁の眼鏡をかけて新聞を拡げている姿等、前後の関連なく他愛(たわい)ない事が記憶に残っているが、師範が氷川丸で亡くなった当時の事についてはかなり一貫性をもって今でも記憶している。夕方と思われるが或る日、主屋から誰かが呼びに来て、父が急いで主屋に出掛けて行った。私も子供のこと故父の後について行ったのであろう。父は主屋の、当時一般的であった廊下の壁に掛けられた電話器を手にして、何か非常に緊張した様子で話していたのを覚えている。その時は私には事の内容を知る由もなかったが、師範の発病を知らせる第一報であったのである。参考迄に雑誌柔道昭和十三年六月号から関連部分を抜粋する。
『嘉納先生のご病状については三日午後四時氷川丸鉙内船長から、嘉納治五郎殿乗船当時より風邪の気味あり、療養中五月一日突然発熱し、肺炎の兆あり・・・・余後憂慮せらる。その第一報が来たので、郵船では直ちに同日大塚の嘉納先生宅にその旨電話をもって報告して来たもので、四日午前六時四十分再び鉙内船長から無電で、嘉納殿本日午前四時三十分全く危篤に陥らる。次いで同七時十分、嘉納殿四日午前六時三十二分永眠せらる。哀悼に堪えずとの報告がもたらされたものである』
記録によると師範の柩(ひつぎ)を載せた氷川丸は、五月六日朝横浜港に到着、夕刻柩は下船の上車を列ねて午後九時自宅に帰着、翌七日柩は当時水道橋にあった講道館に移され、九日に大道場で盛大に葬儀が挙行されたとなっている。私が記憶している情景は、師範の柩が主屋に安置されていた極く短い期間と云う事になる。主屋の二階は二間続きの和室になっており、その奥の方の部屋に柩は安置されていたが、奥の間全体がおびただしい花で埋めつくされた感じで、?くしつらえられた祭壇に安置された柩が花の中に浮んでいる様に見えた。併しその場の様子は多くの弔問者でごったがえす事もなく、むしろ人気(ひとけ)のない雰囲気であったと記憶している。おそらく柩が講道館へ移動する前の一段落した時期に、お別れをしに母に連れてこられたのではないかと想像される。又戸外では主屋に向かう人々の列が続き、警官も二人位来ていた様な気がする。講道館での葬儀については、参列したか否かも含めて一切記憶にない。
次に父から聞いた話を二つ程述べる事にする。その一つは、父は柔道を本格的にやる様強いられた事はなかったと聞いているが、子供の頃はやらされた様である。その当時師範は白帶をしめていたと、何かの折父が云った事がある。私は以前に、師範の段位は何段なのかとよく話題にされるが、師範は段位を與える立場なのだから自身は段位はないと聞かされていたので、なる程と納得した。これを裏付ける様に、講道館発行の『嘉納治五郎』に記載されている幾つかの写真を偶々見た所、山下義韶と稽古(明治三十六、七年頃)と説明書きの写真では、黒帶をしめた山下と白帶をしめた師範の姿がはっきり示されている。併し晩年近い師範の柔道衣姿の写真等では黒帶がしめられているので、その後柔道の普及発展と共に人数も増加し、白帶では初心者と区別がつかないので、師範としての釣合を考慮して、師範自身によって又は門弟の意見を入れて、黒帶着用となったのではないかと想像される。
次に父から聞いた話として、父が師範から数学を教えてもらったと云う事である。父が育った頃の師範の家庭は、父を含めて八人の兄弟姉妹、その他に書生等同居する者を抱え、多くの人々が出入りするいわゆる大家族制的生活であったと聞いている。当然師範は多忙を極め、家でゆっくり寛(くつろ)ぐ暇などない事が多かったと考えられる。この様に世間一般に見られる父親を中心とした一家団欒(だんらん)の状態はとても望めなかったと思っていただけに、この話を聞いて意外な感じがしたと同時に、世間一般と変らぬ父子が接し合う一場面が想像され微笑(ほほえ)ましいと思った。おそらく問題の解き方を教えてもらったのだと思うが、父の話では師範はいとも簡単にすらすらと解いて見せたと云う事である。
最後に母から聞いた事を述べる事にする。他愛ない事なので割愛しようと思ったが、あえて書く気になったのは、昭和六年に嫁いで、昭和十三年師範が亡くなる迄七年間離れから主屋の師範の日常を見て来た母が、これを話す時の懐し気な風情(ふぜい)が忘れられないからである。戦前は家庭の主婦は殆ど和服であり、男性は勤め人は外では背広、家では和服に着がえるのが一般的であった。母が見たのは多分師範が外出の為和服から背広に着がえる時の一齣(ひとこま)ではなかったかと考えられる。主屋の間取りはおぼろ気にしか覚えていないが、がらんとした和室があった様な気がする。師範はそこで着がえをしたのであろう。その時師範は立ったままでズボン下を手に持ち、ひょいひょいと拍子を取る様に片足ずつ器用にズボン下に足を通していたと云うだけの事である。昔の事であるから、母は毎日の様にご気嫌伺いに主屋に出掛けていたのであろうか。今となってはそれさえ確める術もなく、何も聞く事ができないのが残念である。
以上長々とまとまりもなく書き連ねたが、少しでもご参考になる事があれば幸いである。
(講道館長)
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