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今月のことば

2004年05月

電信柱

岩見 裕至

 中之台道場(東京教育大・中京大教授大滝忠夫館長)日曜日の早朝稽古の後の朝食は、門下生にとって大きな楽しみであった。  いつも美味しく母の心の込った朝食と、食後の先生のお話が面白く勉強になった。  話の内容は多岐多様に亘り含蓄と示唆に溢れていた。終って、玄関を出て空を仰ぐ時、いつも胸腔と腹腔一杯の喜びと充実感に満たされていた。  或る日、東京高師時代の稽古熱心な学生に話が及んだ。  先生がとある街角に差しかかった時、件の学生が電信柱の横に佇んで居た。然し、よく見ると佇むというより微動だにせず、正に対峙そのものであった。  やがて、三十分も過ぎた頃、学生は下駄でポンと電信柱を蹴って憮然たる面持で去って行った。  先生は怪訝に思い日を置かずに学生に尋ねた。すると学生は、 "角を曲がろうとすると電信柱が在った。稽古の事を考えていたので、ふっとこの電信柱に大外刈が掛かるだろうかと思いました。  外連もなく突立って居る電信柱だけど、いざ大外刈を掛けようと思うと仲々崩せないし、強引に掛けると返されそうで掛けられない。結局、思い倦ねて、なに、電信柱なんだなんだと思って下駄でポンと蹴っただけです。"と答えた。次いで、先生の話は崩し、体捌きに及び、 "我々は、ややもすると相手の体捌き、崩しに対して、素早く四肢で対応しようとする。すると、ずれた体幹との状態が相手の思うところとなる。  体幹を以って、姿勢を崩さず素早く対応する体捌きは出来そうで仲々出来ないものだ。  又、闊達な体捌きの中で良い姿勢を保ち続けることは難しい事だよ。  良い姿勢を保てない様では自分の技が掛かる事はない。  寝技でも立技でも姿勢は大切だ。ちょっと姿勢と謂う字を思い出してご覧。  姿と勢。良い姿勢にはその姿に勢いが有る。勢いつまりスピードとパワーがある事だ。 我々はややもすると技の巧拙に心捉われて体捌き、そしてその姿勢にあまり重きを置かない傾向がある  物事を考察する時には当然のことだが、基本的な根幹に関わる事柄から考察を進めないと、正しい解決を得る事は出来ない。  例えば、技が掛かる条件は何かを考えてみると、体捌き・崩し・続いて掛け。その最後の技が掛かる事を分析すると五つの事項の構成の上に成り立っている。   1、相手との距離  2、相手に対する角度  3、自分の姿勢   4、力を働かせる方向  5、速さ  この五つの条件が整った時に技が掛かる。  だから、生徒に技の指導をする時この事をおさえて説明すると、生徒の理解も体得も早い。  また、上手く出来ない生徒にはこの事に照し合わせて、何処が悪いかを指摘して指導すれば、体得を正しく早く得る事ができる。"  この事は38年の教員生活の大きな支えであった。  先生は常に、本当か・何故かと謂う事に心を置いて居られた。  高校教師に成って三年目。バスケットの授業でランニングシュートを教えていて、思い切りジャンプをしてシュートをした際左膝に激痛を感じた。  診察を受けたら、膝十字靭帯付着部の脛骨突起が銛の先のように尖ってた。折れそうなのでこの後体育の教師を続けて行く事は無理だから職を変えなさい。とのことだった。  上京した折、その旨先生にお話すると、"何人の医師の診察を受けた""一人です""少なくとも三人の医師の診断を受けなさい。三人の診断が同一ならその時考えればよい"  幸い二人目の医師は"確かに長く尖っていますけど、飛び下りる様な事をしなければ折れる事はないでしょう。仕事を変える程の事ではないですよ"との事であった。  古稀を迎えた身であるが、大滝先生のご指導の恩恵を享受するのみで、先生の足元にも及ばぬ指導者で終った身が不甲斐ない。

(島根県柔道連盟・会長)

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