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今月のことば

2022年11月

柔道に感謝

穴井隆信


はじめに
 この度、講道館『柔道』の巻頭言に思いを述べさせていただく貴重な機会を与えていただいたことに対し謹んでお礼を申し上げます。これまでに志してきた柔道が、私の人生の基盤となっていることについて述べさせていただきます。
柔道との出会い
 私は、長兄の影響で中学1年生から柔道を志すこととなりました。中学校には柔道場がなく、体育館の片隅に畳を敷いて稽古をし、終われば畳をあげて体育館の床を掃除するような環境でした。顧問の先生は陸上部と併任されていた教諭で、柔道は素人に近く、柔道の専門書を片手に指導をしてくださいました。そのような環境でしたが、私たちの柔道に対する思いは純粋で真剣だったことを覚えています。チームは決して強くはありませんでしたが、先輩がきちんとリーダーシップをとってくださり、大会では自分たちよりも数段強い相手に立ち向かっていく、そのような気概を各自が持ったチームでした。高校では、先生から「真剣に柔道の稽古に頑張るだけでは目的は達成できない。柔道で得たことを、日常生活において生かしなさい。勉強もその1つだ」との指導を受け、柔道に勉強に頑張ったのを覚えています。
柔道による自己の成長
 私は、中学・高校・大学・警察官の柔道を通じたすべての時期に主将という役割を務めました。主将という役割は、他の部員の模範となり柱にならなければならないという立場であり、大変苦しい思いもしましたが、そのことによって自分を高めることができたように思っています。またそれは、それぞれの段階で指導していただいた先生方のお陰であると感謝しています。「もしも、自分が主将という役割をいただかなかったら」と考えると、おそらく今の私は存在していないでしょうし、柔道連盟会長に就くこともなかったように思います。まさに主将という立場を経験したことが、私自身を成長させてくれたと思いますし、そういった環境を与えて下さった先生や同僚に感謝するばかりです。
私の柔道の本質
 私の現役期間は長く、36歳まで試合に出場していました。そのお陰で長男も長女も私の試合を観戦する機会があり、柔道に憧れたのか、5歳になる頃には「柔道がしたい」と言い、町道場に通い始めました。いつ「やめたい」と言い出すのか心配していましたが、今や2人とも大学柔道部の監督となっています。
 今、柔道界では、少年柔道家の大会で「勝利至上主義」が散見されるため、見直す動きがありますが、素晴らしいことだと感心しています。もちろん子どもたちは、頑張った結果としての成績がモチベーションを高め、次への頑張りや将来に頂点を極めるきっかけになるかもしれません。しかし、良い成績を出すことにだけにこだわる柔道の指導は、子どもたちが心を痛めたり、怪我に繋がったりする可能性があり、嘉納治五郎師範が目指した柔道の姿とはほど遠いものになると考えます。結果を重視する柔道は、高校・大学・社会人になってからでも遅くないと思っています。
 私には12歳から2歳までの孫が4人いて、上から3人の孫たちは自ら希望し、すでに楽しく柔道の道場に通っています。この孫たちは、私が中学や高校で先生から教えていただいた同じことを、道場の先生から教えてもらっているようです。只々勝ちにこだわり、子どもたちの思いや楽しさを押し殺した指導をするのは小学生では早すぎると思います。もし試合で勝てなくても、毎回の稽古を通じて「あれが出来た。ここが分った」と自分の成長が理解できれば、柔道は楽しくなるはずです。本来、柔道の本質は、健やかな心を育み、頑張る意志を尊び、人間的な成長を助けるための道であるべきだと考えます。
おわりに
 私は、柔道に携わってきた53年間の年月を思い起こし「その中のどこに自分の成長はあったのだろうか」と思うことがあります。もちろん成長はしてきたでしょうが、それぞれの人生で自己の成長を確認することは難しいと思います。しかし、これから残された人生の中で、嘉納治五郎師範の説かれた「成己益世」の考え方を少しずつでも実践することは可能ではないかと考えています。柔道で身についた徳は、柔道を通じて世の中に恩返しをすることに意義があると思います。柔道連盟会長という要職を務めさせていただくのも恩返しの1つかもしれません。自分がここまで志してきた「柔道」に感謝をしながら、もう一歩上の柔道家・指導者へ成長できるように日々を奢らず精進を続けてまいりたいと心を新たにしております。
                          (大分県柔道連盟会長)

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