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今月のことば

2018年2月号

私の理想とする柔道観

穴井隆信


はじめに
 昨年4月に、38年間奉職した大分県警察を退職し、第二の人生に踏み出すと同時に、私の人生の中で一番大きな存在であった「柔道」との関わり合いを一層強くするべく、県柔道連盟会長という要職に就かせて頂いた。
 現在は、一般企業の役員と柔道連盟会長という両輪で日々活動させて頂いている中で、これまで柔道をやっていたからこそとも言える、人との関わり合いの大切さを強く感じる今日この頃である。
 今回、このような機会を与えて頂いたことに感謝するとともに、私が考える「理想の柔道観」について述べたいと思う。

柔道との出会い
 私の柔道との出会いは中学校入学と同時である。柔道部に入部したものの柔道場もなく、体育館の片隅に畳を敷き詰めて稽古をし、終わればまた畳を上げるといった環境であり、部員こそ3学年で15名ほどいたが、陸上専門の先生に顧問を務めて頂いていた状況にあった。
 このような生徒同士が切磋琢磨しながら自らを高めるために努力をし結果を出すという、今ではほぼ考えられない様な状況で、私の柔道は始まった。

恩師との出会い
 中学校から始まった私の柔道には、指導をして頂いた何人かの恩師が存在し、私の柔道人生に大きく影響を与えた。
 その恩師たちに共通することは、「厳しさと優しさ」を兼ね備えていたということだと思う。教え子がルールに反したり、心ない稽古に興じたりすれば、烈火のごとく厳しい指導を的確に行い、褒めるときには心から褒めてくれる、そんな指導者ばかりであった。
 恩師たちの教えを胸に、自分が指導者の立場になってからは、警察官として柔道の指導に従事していたときも、少年柔道の指導をしていたときも、常に「厳しさと優しさ」を心に置いた指導を心がけてきた。

柔道を通じた自己研鑽
 柔道は、競技であるが、人格を形成するための修行であるとも考えている。むしろ、競技よりも人としての「徳を積む」ための修行であるべきだと考える。
 嘉納治五郎師範は、「智育」「徳育」「体育」の3つを成してこそ、柔道修行の意味が生じると考え、「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は、攻撃防禦の練習に由って身体精神を鍛練修養し斯道の神髄を体得する事である。そうして是に由って己を完成し世を補益するが柔道修行の究竟の目的である」と述べられている。すなわち、柔道を通じて自分を強くし、高めることは大切だが、それだけでは意義は全うできず、柔道の修行によって身についたものを世の中のために役立たせることこそ究極の目的であると述べているのである。
 確かに競技による勝負は、勝つことの喜び、負けたときの悔しさを身につけさせることができ、修行状況のバロメーターともなり、修行のモチベーションを維持向上させるための方法であるのかもしれない。しかし柔道の修行は、競技として相手に勝つためだけのものではない。修行によって身についた「力」「技」「気」は、世の中のために役立てなければならないのである。
 柔道の修行を継続し自己研鑽を積むことが大切であり、そのことが世の中への還元にもつながると信じている。
 競技や勝負を重視するあまりに、精神的な自己研鑽を忘れないようにしたい。

柔道への恩返
 私は、柔道の修行によって多くの経験を得、多くの大切なことを学ばせて頂いた。それは、自身の柔道だけではなく、自分の子どもたちの柔道に関しても多くのことがある。
 私自身のことで言えば、特に全日本柔道選手権出場のチャンスを幾度か逸したことは、一番悔しくもある。また、長男が全日本選手権や世界選手権で優勝した喜びや、ロンドンオリンピックで敗れた時の絶望感、長女が怪我で世界の舞台に出るチャンスを逸したこと等々。しかし、このような貴重な経験を得ることができた自分は、本当に恵まれていると感謝し、柔道界への恩返しをしなければと考えている。また、長男や長女も、勝ちだけでなく「負け」を知ったことで、今後、指導者として幅のある指導ができ、柔道界に恩返しをしてくれるのではないかと期待している。

結びに
 私は、先に述べたように、県柔道連盟の会長に就任させて頂いたが、全国でも若い会長であると認識している。勿論、この大役は全身全霊をもって務めると決めているが、前例踏襲だけではなく、良きものは引き継ぎ、悪しきものは改善し、改革も図っていかなければと考えている。
 そのためには多くの大先輩の築いた伝統を活かし、その中に新しい息吹を吹き込むことを理想とし、努力を怠らず精進していくことをお誓い申し上げ、結びとする。
                              (大分県柔道連盟会長)

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