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今月のことば

2007年03月

自分を信じ夢をもつ

?? 喜一

 東西大小に拘らず、柔道の大会はできるだけ観戦することにしてこの道を語れるようにしている。そこで感じるのは、今「手に汗握る感動する試合」に出合うことが少なくなったことだ。なぜ、感動する試合が見られなくなってしまったのか。それについて考えることが、今の柔道に必要なことではないかと思われてならない。「手に汗握る感動する試合」とは何か?、それは私が観た、昨年の全日本学生剣道選手権の試合に出場した隻腕剣士の試合である。隻腕剣士が全国大会に出場したということ自体も驚きであったが、さらに、その選手は、左腕一本で自分よりも身長で20センチ、体重で50キロも上回る選手を相手に、延長戦を含めて45分間戦い抜き、見事に「一本勝ち」したのである。その試合は一瞬も気を抜けない壮絶なものであった。5分間で決着がつかず、どちらかが一本を取るまで続けられる延長戦。片腕で竹刀を握る隻腕剣士の握力は目に見えて徐々になくなり、竹刀をはねとばされる場面もあった。握力は限界に達し、もうダメだとだれもが思っていた。しかし、隻腕剣士は決してあきらめてはいなかった。相手が面を打ち込んでくるところを素速くかわし、胴を決めたのだ。しかも、面を打ち込む一瞬の間に竹刀を短く持ち替えての計算された技であった。その試合には、隻腕剣士のこれまでの人生を垣間見た気がした。健常者と比べてとてつもないハンディーを持つ隻腕剣士。しかし、自分の力を信じればできないことはないと、毎日竹刀より2倍の重さの木刀で素振りを欠かさなかったという。

 この試合を見ながら、ふと柔道について考えてみた。確かに、感動する試合は少なくなっている。 しかし、柔道は、もともと感動を与える試合が多かったのではないかと思えてならない。というのも、柔道の基本理念は「柔よく剛を制す」、しなやかなものが、かえって強く固いものを制する、つまり、体の小さな選手でも、巧みな崩しなどによって、大きな強い選手を投げ飛ばすことができる武道である。かつては岡野功、山下泰裕、古賀稔彦など、自分より大きな選手を投げ飛ばし、見ているものを魅了する試合はたくさんあった。そうした試合を見て、多くの人が柔道の醍醐味に魅了されて柔道をはじめたものである。しかし、今日、そうした試合が年々少なくなってきている。では、なぜ、少なくなっているのか?国際化が進むなかで、体重別が重要視されるようになり、小さな選手が大きな選手と練習をしたり、試合をする機会が圧倒的に少なくなっていることが一つの原因だと思われる。指導者の中には、小さな選手と大きな選手を分けて練習させる学校や道場もあると聞く。かつては、体の小さな子供たちは、どうすれば大きな選手を倒せるのか、いろいろと試行錯誤を重ねて技を磨いた。体の大きな選手も、小さな選手に投げられて、その中で自分の課題を見つけ強くなっていった。いろいろなタイプの選手同士が、お互いに競い合うことで技を磨き、強い選手が育っていった。そうした切磋琢磨の中で、「手に汗握る感動する試合」が生まれたのだと思う。どうすれば、このような試合をする選手が育つのか、そのカギは、隻腕剣士を支えた言葉にあるような気がする。「自分の力を信じれば、できないことはない」、隻腕剣士は自分の力を信じ、厳しい稽古を続けることで、強くなり、左腕一本で全国ベスト32に入ったのだ。

 今、柔道をする子供たちに身につけてもらいたいもの、それは、自分の力を信じ、「夢をもつこと」である。日本人は夢というと叶えられないものだと考えがちだが、夢は努力することで、叶えられると教えたい。夢を持った子供は、毎日どうすればいいか考え、夢に向かって一生懸命努力するはずである。夢を叶えるためなら苦しい練習も我慢し、日々精進していくに違いない。自分の力を信じながら日々を送った子供は必ず力をつける。毎日、目に見える成長を見せるはずだ。そして、「大きな夢、小さな一歩」を知ることになる。全国では日々多くの指導者が子供たちを強くしようと汗を流している。その中で「自分の力を信じ、夢をもつ子ども」の育成についても考えてみてはどうか。子どもたちに大きな夢を持つように教え、不可能な夢ではないと励ます。指導者が子どもの限界を作らずに、どこまでも伸びる子どもの可能性にかけ、その夢を追い続けられる環境を作ることが今求められているのではないかと思う。
 「手に汗握る感動する試合」が一つでも多く見られる時が再び来ることを願ってやまない。

(静岡県柔道協会会長)

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