今月のことば
2006年08月
薩摩の郷中教育と柔道
北 哲郎
はじめに
講道館柔道が創始されて、今年で百二十五年目を迎える。その間、世界中に普及、発展し、現在では、国際柔道連盟に百九十五ヵ国が加盟しています。
柔道がこれほどまでに発展したのは、嘉納師範の柔道に「一本で決める」という気魄と技の魅力、そして、勝ってもおごらず、負けても挫けず、常に相手を尊重し、敬意を表する「武道精神」があったからだと思います。
江戸時代、薩摩藩には「人をもって城となす」という伝統的な考え方や郷中教育という独得の青少年教育のしくみがありました。
この郷中教育の伝統に培われた薩摩の質実剛健の気風と、明治十五年に創始された講道館柔道の理念とが相俟って、「鹿児島の柔道」が発展してきたものと思われます。
いま、本県でも、ものの豊かさの中で意思の弱い、物事に耐えることのできない青少年の増加が憂慮されています。
このような時代だからこそ、節度ある人間形成に貢献している講道館柔道の普及振興が必要であり、薩摩が育んだ郷中教育の良さを見直し、取り入れていくべきであると考えています。
では、薩摩の気風、風土は如何に形成されたのか、郷中教育の歴史と実践内容をひもといてみたいと思います。
一、 郷中教育
郷中教育は、秀吉の役に源を発し、江戸時代二百五十年の間に、次第に体系を整えていたものでありますが、その基本的特徴は、「師弟同行」といわれる異年齢集団の中での青少年の自治的な相互教育という点にあります。
それは明治維新による幕藩体制の崩壊と共に一時中断されてしまいましたが、明治十年代に至って新しい装いを凝らした「学舎教育」に継承され、学校教育の外で、青少年の人間形成のための自主的な教育機関として機能していきました。
「ごじゅう御中」とは、地域の結社で、薩摩の青少年は年齢別にこちご小稚児(現在の小学生に該当する年齢)、おせちご長稚児(現在の中学生)、にせ二才(高校生)、おせ長老(大学生)に分けられ、武道、学習はもちろん、生活全般にわたり、集団的活動を営んでいました。
その集団内での人間的な触れ合いを通して、自治団体における秩序の形成や、強者(年長者)の弱者(年少者)に対する思いやり、相互扶助・友情・連帯感・耐性・リーダーシップなどきわめて多くの資質をはぐくみ育てました。それらは年齢の差に基づく知識経験の差や肉体的強弱の差、人間的な成熟度の差が教育的に作用することによって、より有効に育成されたと考えています。
負けるな。うそを言うな。弱いものをいじめるな。という薩摩三訓を根気強く教えつづけ、遂に薩摩人気質が形成されたものと思います。明治維新の立役者となった西郷隆盛や大久保利通なども、この郷中教育から生まれて来たのであります。
二、日新公いろは歌
このいろは歌は、にっしんさいただよし日新斎忠良の作であります戦国の世に英明の武将と称えられた島津忠良(日新公)は、神仏の崇敬厚く、また桂庵禅師の教えを継ぐ朱子学を学び、自ら「在家菩薩」と称しました。忠良は、武士として人間としての道、仏教、神学、儒学などの教えをもとに、四十七首の和歌にまとめました。この「日新公いろは歌」は、藩政や士民の教育の指針となり広く愛誦されました。
薩摩藩では、役人の心得としても尊重され藩庁の家老座の床の間には、次の三首が掲げられて、役人たちは登庁するとまず、この三首を拝吟してから、職務に取り掛かったといいます。
いにしえ古の道をきき聞ても わが我をこなひにせすばかひなし
とがありて人をきるとも軽くすな いかすかたなもたゞひとつなり
もろもろの国やところの政道は 人にまずよくをしへならはせ
また郷中教育でも尊重されて、二才稚児たちは、忠良のいろは歌を暗唱したといいます。
三、 いずみ出水へこ兵児修養之掟
出水郷三代地頭山田昌巌の作と伝えられています。ほんとうの武士は、自己にきびしく、誠実に、美しく生きよ、と教えています。
出水の各郷中では、このような青少年の生活規範になる「掟」を作って座右の銘とし、朝夕朗読させ実践させました。この教えは、現代の私達に、人間の生き方を考えさせてくれる味わい深いことばであります。
原文
士八節義ヲ嗜ミ申スベク候。節義ノ嗜ミト申スモノハ、口に偽ヲ言ハズ、身ニ私ヲ構ヘズ、心直ニシテ作法乱レズ、礼儀正シク上ニヘツラワズ、下ヲアナドラズ、人の患難ヲ見捨テズ、己ガ約諾ヲ違ヘズ、甲斐々々シク頼母シク、苟ニモ下様ノ賤シキ物語リ悪口ナド話ノ端ニモ出サズ、恥ヲ知リテ首刎ラルルトモ己ガナスマジキ事ヲセズ、死シベキ場ヲ一足モ引カズ、其心鉄石ノ如ク、又温和慈愛ニシテ物ノ哀レヲ知リ、人ニ情アルヲ以テ節義ノ嗜ミト申スモノナリ。
むすび
嘉納治五郎師範の柔道は「柔道を通して心身を鍛練し、己を完成し、世を補益する」即ち「人づくり」を目的として教育し、幾多の人材を輩出して来ました。
郷中教育の目標と講道館柔道に相通ずるものを感じ欣快の至りであります。
郷土に伝わる教育の伝統を生かしながら、今後は、日本伝統の講道館柔道の原点に立ち返り、微力を尽し、前述の理念確立に邁進する決意です。
(財団法人鹿児島県柔道会・会長)
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