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今月のことば

2023年8月

「視覚障害者柔道」から「柔道」の根本思想を考える

伊藤友治


 この度、講道館編輯部から本誌巻頭言執筆の依頼があった。主旨は「視覚障害者柔道のことを書きつつ、柔道界全体を俯瞰した内容で・・・」という私の手には負えない大きなテーマであった。また、この伝統ある格調高い講道館誌の巻頭言は、これまで錚々たる方々が執筆してこられている。私のような者は「その任に非ず」とお断りしようかと思ったが、視覚障害者柔道のことをより多くの方に知っていただきたいという一念からお受けすることにした。浅学非才な我が身を省みず、柔道から教えてもらったことを述べさせていただきたい。
視覚障害者柔道と柔道の有用性
 視覚障害者柔道は通常の柔道と何等変わりはない。強いて言えば、相手と組み合ったところから競技を始める点が異なるのみである。従って、相手と組み合っていれば健常者とも対等に競技を楽しむことができる。ここに最も大きな柔道の有用性があると思われる。
 このことは視覚障害者のみに留まらず、あらゆる人に言えることかと思う。以上のことから、柔道は極めて「ユニバーサル」なスポーツだと言えるのではないだろうか。「組み合えば誰とでも競技を楽しめる」というところに全ての人が共に生きるインクルーシブな社会を形成するためのヒントがあると考える。
視覚障害者柔道の歴史 
 ではこのような視覚障害者柔道は、いつ頃どこでどのようにして始まったのだろうか。我が国では長いこと「フランスを中心とするヨーロッパ諸国でリハビリテーションとして始まり、それが我が国へ逆輸入されたもの」と思われてきた。しかし、果してそうであろうかという疑問を持ち、いろいろと調べてみると、そうでないことが分かった。
 我が国で初めて視覚障害者が柔道をしていたという記録が見られるのは、明治20年代後半である。何と講道館の草創期、日露戦争において旅順港封鎖作戦を行ったことで有名な廣瀬中佐たちと共に、そこで視覚障害者が柔道をしていたという記録が残っている。また、大正時代には東京盲学校の生徒が、町道場で稽古をしていたという記録も見られる。
 初めて組織的に視覚障害者柔道が始まったのは昭和5年、京都盲学校においてである。当時の岸高校長が「柔道は盲人に極めて有益なスポーツである」ということを認識し、京都の武道専門学校の卒業生三橋忠(当時四段、後に八段)を招聘し、柔道の指導を始めた。三橋は視覚障害者の特性を実によく把握し、彼等に合った指導法や技を開発している。上四方固で抑え込まれた時、下から絞め上げる「三橋絞め」という技を開発したのもその一例である。
 昭和16年からは東京盲学校でも柔道が始まる。この時の様子は「盲人流汗」という題で講道館誌に連載されていて、これを読むと講道館の先生方が如何に視覚障害者のために尽力くださったかが分かる。この時期と相前後して、九州や新潟の盲学校でも柔道が始まり、近隣の中等学校生と共に稽古をしている。
 このように戦前から柔道の中には、「共生社会」が息づいていて、「精力善用・自他共栄」という嘉納師範の教えが、脈々と流れていたことを強く感じる。
KUNDE柔道
 「視覚障害者柔道には柔道の原風景が見られる」とよく言われる。嘉納師範が創始された柔道は、お互いに組んでから始めるものだったはずである。古い時代の記録映像を見ると、お互いに組み合って大変綺麗な柔道をしている。そこには自分だけが有利な組み手になって相手には持たせないという姿は見られない。お互いが最善の状況において勝負するというところに柔道の根本思想があるのではないだろうか。そこには「自分だけが有利な状況に立って試合をする」ということを「卑怯」だと考える「武士道的精神」があったのではないかと思われる。
 サッカーのオフサイドは、「敵の居ない城を攻めるのは卑怯である」という「騎士道的精神」をルール化したものだと言われている。このことからも前述の「お互いに持ち易い所を持って勝負をする」という考え方は、世界中の人々に理解していただけるものと信じている。本連盟が推奨する「KUNDE柔道」がその一助となれば幸いである。
柔道の普遍性
 柔道の「道」は剣道・茶道・書道と同じく古代中国のタオイズム(タオ=道)に根ざした禅の思想を根本原理としているものと思われる。従って、この道は人生全てに通じる道であり、柔道の稽古を通して、あらゆる人生の道(生き方)が見えてくるはずである。丁度人が高い山に登れば周りの景観がよく見渡せるように、柔道の稽古を通して自己を高みに登らせれば、人生の景観が見えてくるものである。ここにこそ柔道の普遍性があると思われる。
 20世紀後半から21世紀にかけて、西洋文明をリードしてきた近代合理主義の行き詰まりが指摘され、禅等を中心とした東洋思想への関心が高まっている。この閉塞感を打開する1つの鍵が柔道の中に潜んでいるのではないか。私は昨秋『視覚障害者柔道の歴史』を桜雲会から出版する機会を得たが、それを執筆する中で、益々その思いを強くした次第である。この拙文や拙著を目にして、柔道の底知れぬ魅力と可能性に思いを馳せていただく方が1人でも多くなれば、筆者にとって望外の喜びである。
                        (視覚障害者柔道連盟副会長)

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