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今月のことば

2015年4月号

教員生活43年を振り返って

伊藤義博

 昭和47年4月、東海高校での教員生活が始まった。同時に愛知県柔道連盟役員としての第一歩を踏み出した。大学の大先輩であり、愛知県柔道連盟理事長、東海高校体育科の主任でもある佐藤守直先生(後に九段・会長)からの、「休みはないものと思え」が新米教員へ最初の激励の言葉であった。先生の言われる通り、東海高校の教員としてかつ愛知県柔道連盟の役員として、休日は高体連の大会に加え、県柔連が関係する各種大会、そして毎月1回の月次試験など、まさしく休み無しの生活が始まった。それは同時に、柔道について様々な経験の機会を与えて頂くスタートでもあった。

 昭和56年文部省から要請を受け4月から翌57年3月までの1年間、中国で柔道指導を行った。中国事情がまだまだ不確かな時、不安だらけの渡航であったが何とか無事任務を終了できたことは幸いであったと思っている。さて、中国の選手育成は体育省なるものが中心であり、日本のスポーツ指導が学校教育の中で文部科学省中心に行われることとは少々異なる。一般的には各省または北京、上海といった特別な地域が持つ体育基地にて合宿生活をさせながら、あくまでも勝負に勝つための選手作りが行われる。当初この点に、教育的配慮の中で選手の将来を考えて、学校教育のもとで行われる日本とは随分隔たりがあり戸惑いを感じた。中国の要望は、全体のレベルアップも当然必要であるが、数は少なくてよい、強い選手を育ててほしい、であった。河北省で講習を行った際、卓球選手の練習振りを拝見させてもらった。機械から放たれる球をひたすら打ち続ける姿には悲壮感さえ感じるものがあった。中国の卓球レベルが高いことは周知のことだが、ヨーロッパのどの国が訪れようと、この中のひとつのチームで十分戦えるとの話に、驚きを越え呆れてしまった。現在、中国国内で育った選手が、国籍を変え他の国から出場している場合が決して少なくないのも頷ける話である。さて、日本でも文部科学省の外郭組織としてスポーツ行政関係を一本化するスポーツ庁ができると聞く。スポーツに対する新たな見直し、楽しみである。

 オリンピックでの経験であるが...北京、ロンドン両オリンピックに愛知県出身者が出場したことで、県柔道連盟から応援に行かせてもらった。北京では谷本歩実選手、ロンドンでは中井貴裕選手。北京での谷本選手は、フランスのデコス選手を見事な内股で破り、金メダルに輝いた。ロンドンでは中井選手があと一歩のところでメダルを逸した。ただ、この時唯一金メダルを獲得した松本薫選手の決勝戦を観戦でき、2大会連続での金メダルシーンは幸運であった。松本選手の「前に前に」出る攻撃的柔道が功を奏したと思われる決勝戦、相手が苦し紛れに軸足を内側から刈った、明らかな反則。それまでに成績が残せない日本チーム、応援団はこの時とばかりに、大きく湧いた。このロンドンで驚いたのは、観客席の音と光の応援である。流石に試合が始まれば観客席は静かになるが、それまでは凄まじく、時にはウェーブさえ起きる。静かに観戦することが義務付けられているかのような日本においては、あり得ない状況である。場慣れしている選手には緊張感を高めてくれる良い刺激なのかもしれないが、静かにして集中力を高めたい選手にとっては、厄介な代物であったと思われる。大きな会場に選手が現れ、試合前の緊張感が最高に達した状態の時でさえ音と光は容赦ない。日本の女子軽量級選手にいつもの結果が残せなかったのは、あながちこのことが全く関係ないとは言い切れないのではないだろうか。百銭錬磨の選手とはいえ、その状況は異常と映るだろう。次のオリンピックは南米リオデジャネイロ、音と光はこれを遙かに凌駕するものであることは間違いない。音と光への対策も、強化同様必要なことに思えてならない。

 さて、私が指導する東海中学・高校柔道部は、かつては中高ともに全国制覇を成し遂げている。指導している顧問は5人いる。それぞれ役割を分担しているが、7年前から私が新入部員の面倒を見ている。学校全体では医学部志向の割合が非常に高く、毎年、医学部合格者は国公私立合わせてのべ200名ほどにも達する。そういった進学校としての環境下での柔道部、新入部員が5名を超えればよく入ったと言っていい。この生徒たちは、遅くとも小学校5年からは入試準備に入っているので当然、体力は落ちている。柔道とはどのようなものかを教えることと同時に、体力を如何に付けるかが重要なことである。こういった部員確保に苦労する中、先輩部員たちが自ら何とかしようと数年前から努力し始めている。新年度が始まった4月、柔道のミニ講座を昼休みに開く。5月当初の学校への入部届けの準備である。当然、怪我をさせないためにも、練習をするのではない。柔道について、様々教えるのである。その成果があってか、確実に新入部員が確保されている。我が校の事例ではあるが、新年度が始まっている今、歯止めの掛からない柔道人口減少対策のひとつにでもしていただけたら幸いである。

 この4月に教職を離れる。この43年間を支えて下さった多くの先生方に深く感謝申し上げたい。これからは、かつて、大会、月次試験において柔道場に溢れかえっていた選手たちを少しでも取り戻せないか、策を練っていきたい。
(愛知県柔道連盟会長)

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