HOME > 今月のことば > 2006年04月

今月のことば

2006年04月

「晴れの国おかやま国体」を終えて

内野 幸重

昨秋、わが国最大のスポーツ祭典であり、岡山県民あげて待ち望んだ、第60回「晴れの国おかやま国体」が開催された。「あなたがキラリ」のスローガンどおり、競う人、応援する人、支える人、それぞれが光り輝き主役となった。そして、悲願の天皇杯、皇后杯を獲得し多くの県民に感動と活力をあたえた。

思えば、昭和三十七年一巡目国体が開催され、国体の決定版とまで評価された。柔道競技は県南の児島市(現倉敷市)で実施され、私も教員の部の一員として出場し、チームワークと仲間の踏ん張りで幸運にも優勝することが出来た。そして、四十三年、再び地元での国体に携わることが出来たことに感慨一入の思いがあった。
今大会の課題であった施設については、県は経済状況の悪化とひっ迫した県財政から、基本的には既存の施設を使用するとの方針を早々に打出した。柔道会場は幾つかの問題に直面しながらも最終的には津山東体育館に決定。会場の狭小さから、二試合場、四日間の日程で実施のやむなきに至った。

平成八年、岡山県は「競技力向上十ヵ年計画」をスタートさせ、有望選手の発堀育成、指導者・役員の養成、学校へのクラブ新設など多様な事業を展開した。競技力はこの年天皇杯三十位であったが次第に力を付け、十四年高知国体で十八位、翌年静岡で十三位、十六年埼玉で七位と確実に順位を上げていった。
柔道もこの計画に添った事業を進め、成年男子については補強選手の移籍も考え企業に働き掛けた一時期もあったが、結局選手の資格基準(週四日以上の勤務実態)が壁となり、補強策は実現しなかった。しかし、結果的には自前選手のみでのチーム編制が選手の自覚とチーム全体の結束に繋がり、会場の熱い声援を力に苦戦しながらも最後まで頑張り抜き四位入賞を果した。中でも三回戦の(対京都戦)代表戦で場内を総立ちにさせた菊川選手の乾押一擲の内股は劇的で、地元の人々の心に永く刻まれるであろう。

そもそも、岡山は古くから柔術、柔道の盛んな土地柄であり、竹内流、起倒流柔術の流れを受けて名人と謳われた永岡十段を生み、旧制第六高等学校柔道部を育てた金光弥一兵衛九段をはじめ多くの強豪を輩出している。更に学校柔道においても六高が全国高専大会八連覇、津山中学が全国中等学校大会で六連覇通算七回の優勝を果し「白帯の津中」として全国にその名を馳せた。
ことに、六高柔道は明治三十五年部結成から、昭和二十四年学制改革で終焉をつげるまでのおよそ五十年、それは、男達が全国制覇を夢見、努力精神する中で、心身を鍛え、友情を育み、悩み、苦しみ、喜び、そして青春を謳歌した。まさに青春劇場であったのであろう。この高専柔道からわが国各界をリードする有能な人材を輩出し、後に柔道界に大きく貢献される事になる。
ところで、国体は戦後の混乱の中、国民のほとんどが失意のどん底にあった昭和二十一年、スポーツを通じて国家再建への希望を呼び起こし、民族の気概を示すべく立ち上げられたものである。しかし、当時は食糧難、交通難、宿舎難の時代で選手、役員はひたすらスポーツへの情熱と意気に燃え、食料・毛布持参であったと聞いている。
昨今、国体が経済状況の悪化や、肥大化、更に国際大会の増加で国体を優先しない選手が多くなってきたことから、日体協は大会の簡素・効率化、充実・活性化に向けた改革を進めている。今回柔道会場においても開始式の入場行進を省略するなど様々な場面で簡素化に努めた。一方、今大会から導入された「ふるさと選手」制度は、久々に郷土を代表する選手の生き生きとした姿が特徴の一つであった。

ここで、一つ残念なことは柔道ではトップ選手の出場が少ないことである。地元にとってトップアスリートの出場は期待や関心も高く、会場の盛り上がりに重要な役割を担っていることも確かである。今大会でも有名選手の出場した会場ではメディアの注目を集め、大変な盛り上がりを見せていた。第一線で活躍する選手はビッグ大会に向けての体調管理、スケジュール調整など厳しいものがあるであろうが地域柔道振興のため、ひいてはわが国スポーツ発展のために努めて参加願いたいものである。
ともあれ、国体がこの六十年間わが国のスポーツの普及振興と地方文化の発展、加えて、国民の健康増進、体力向上に大きく貢献してきたことは事実である。
今後の国体の動向に注目していきたい。
本連盟としてもこの国体を通じて課題や反省事項も見出した。今後県下柔道人心一つにして柔道への求心力を高め、再生への決意を改にしたところである。

(岡山県柔道連盟会長)

最新記事