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今月のことば

2005年03月

前途に光明を見いだす ?弁慶は牛若に勝てない?

浅田耕平

アテネの成果は、ここで論ずるまでもないが、改めて代表団の活躍を称え、その成果の意味について触れてみたい。昨年七月、本県で宇部柔道協会の設立五十五周年記念行事があり、県選出の河村建夫文部科学大臣(当時)も出席、オリンピックに触れて、「金メダルの目標は八個、その半数を柔道に期待している」と話された言葉が今も記憶に鮮明であるが、予想の半数はおろか、目標の八個を柔道だけで達成した結果に対しては、大臣のみならず多くの国民も、その活躍を喜びの気持ちとともに、驚きの気持ちをない交ぜて見守っていたのでは、と今でも思っている。なかんずく、女子の五階級制覇は特筆ものであるが、殊に本県においては、阿武教子選手(山口出身)の悲願となっていた優勝も達成され、関係者の喜びも又、一入であった。さらにアテネの結果は、それまで抱いていた柔道変質に対する危惧の念を少なからず払拭してくれた、そんな思いがしている。競技偏重による勝利至上の風潮が指摘されてから既に久しいが、国際化という時代の流れが否応もなく迫ってくるさ中で快挙であり、何よりも柔道ルネッサンス運動に対する力強い後押しになったと思っている。その結果について、吉村和郎女子ヘッドコーチ(当時)は、「選手が正しく組んで、技を掛けきった、相手を投げきったことに尽きる」と誌上で語っている。アテネに臨むにあたって指導陣が目指したといわれる"正しい柔道への回帰"、それは世界が注目する舞台で、"一本で勝つ柔道"であったと側聞しているが、その宿願を選手が見事に結果で示したもので、記憶にのこる言葉となるだろう。代表選手の五十勝中、三十九勝(約八割)を一本で決めたいといわれる数字が、それを如実に物語っている。講道館の醍醐敏郎道場指導部長が、以前、柔道の技の本質について、「柔道の技術は自然体で組み、軽妙敏速な進退体さばきで、作りと掛けの理合いがいかされて冴えた技となる。その合理的な技を追求する修練をしてこそ、嘉納治五郎先生の説かれている、柔道の定義に通じ、教育的な効果も期待できるのである」(警視庁、教育時報)、と述べておられる言葉を思い起こし、"一本"こそ競技の場で、正しい柔道を表現する最高の方法であることを改めて認識させられた思いである。さて、福題の弁慶と牛若であるが、一般論として、力に頼るポイント柔道と一本を目指す柔道との比喩である。現在のルールでは、薙刀をブンブン振り回す弁慶のような(相手の)攻撃を(牛若丸のように)いくら巧みに防いでも、起死回生の技を出さない限り、ポイントは相手(弁慶)に加わるばかりで試合は終わってしまう。事実、それが世界のすう勢になっていたことも否定できまい。一本を目指す柔道を論ずるとき、やはり井上康生選手を抜きにしては語れない。敗れたりとはいえ、今でも正しい柔道を体現できる、当代きっての選手だと思っている。彼の優れた組み手については、東海大学の佐藤宣践教授が、折に触れて解説されているところであるが、思うに、彼が日本人の中では長身であるにも拘らず、これまで一貫して前襟を握り続けてきたからこそ、同じ組み手で刈、跳ね、担ぐ技を瞬時に駆使することができ、相手も、そのスピードに抗することができない。前襟を握ること、即ち自然体の基本である。彼の場合、指導者の存在もさることながら、考えられる遠因として、昭和五十七年から施行された、講道館少年規定(後ろ襟禁止)の目的が実を結んだ証でもあると思うが如何なものであろうか、「ローマは一日にして成らず」である。だとすれば、正に「三つ児の魂百まで」であろう。先の嘉納杯で復活した井上選手の捲土重来に期待したい。次に試合を取り巻く環境面から少し触れてみたい。よく大会の成否は、選手の試合内容と審判によると云われるが、アテネの背景にも、選手の意識と審判員の関与が如何に大きいかということを、まざまざと感じさせられた。「正しい柔道」に対する理解の浸透、「一本柔道」に対する見直し、審判レベルの一様化、ルールの整理、等からも窺い知ることができるが、選手自身の意識の改革をはじめ、正しい柔道に対する認識の醸成、ルールの改正と準備、審判員の選出等、開催までに至る関係者の不断の努力に対し、満腔の敬意を表したい。同時に、今回の成果をアテネ限りで終わらせない為にも、将来にわたり、更なる尽力を切に願うものである。一方この時期、国内に目を移すと、柔道ルネッサンス運動も五年目となり、徐々にではあるが確かな変化も感じはじめている。又、平成九年から始まった、全日本形競技大会も昨年で回を重ねること八回、今や形修行の目的として定着してきた。形と乱取が不可分の如く、心身の練磨を目的とした形の作法は又、ルネッサンス運動の正しい礼法にも通じるものである。昨年は、中国地区においても、従前とは比較にならぬ程、形に対する気運の高まりを肌で感じている。アテネの成果に触発されて、所懐の一端を述べさせていただいたが、こと程左様に"正しい柔道への回帰"の兆しは、いま内外で確かに見え始めている。「洗心」、その昔、先輩から「一本とった時のスカッとした気持ちだ」と教えられ、今も脳裏にのこる大切な言葉であるが、ここにきて、心中のわだかまりも、いくらか洗い流され、トンネルの中に光明を見いだした思いがしている。

((社)山口県柔道協会会長)

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