今月のことば
2013年09月
武道としての柔道
藤堂良明
昭和39(1964)年のオリンピック東京大会に柔道が導入されて以降、競技として柔道を行う人が増えてきています。競技とは技術・運動能力の優劣を競う世界であり、いかに相手に勝つかを目的とするものです。しかし、柔道は競技の面だけではありません。 日本には、古来、修行として自らの身心を磨き、人としてどうあるべきかを求める"武道としての柔道"がありました。平成24年度から武道は中学校で男女必修となり、また柔道界全体が柔道のあり方を真剣に考える時にさしかかっております。こうした折に誌面をお借りして、武道としての柔道について申し述べたいと思います。 修行としての柔道 柔道はかつて武士が行った武芸より生まれたものです。特に武士の技の修練や修行に影響を与えたのが禅です。禅とは、ひたすら坐ることにより自分の心の本源を悟ろうとする修行であり、そこでは食事から顔を洗うこと、便所の使い方まで細かい規則があり、また修行場での礼の仕方や道場内での手や足の組み方なども厳しく定められました(=清規)。こうした、平均的な人間以上の生き方を求める禅の修行法は、武芸を行う武士の心構えに影響を与えました。 東洋思想に詳しい湯浅泰雄氏は、修行の意味について「世俗的な日常経験の場における生活規範より以上のきびしい拘束を自己の身心に課することである。そしてそれによって、社会の平均的人間が送っている生き方以上の『生』に至ろうとすることである」と述べています。 柔道における修行とは、「打込」(かかり練習)を繰り返して得意技を作り、乱取では肉体の苦痛や限界を克服して自己の身心を見つめ直し、如何に人として生きていくかを身に付ける営みといえるでしょう。その際に、相手がいなくては成り立たず、組む前には相手を敬い自分を律する"克己"の礼を行い、終了時には自分を磨いてくれた相手に対し、"感謝"の礼を尽すのです。また柔道には、乱取の原理を教える「投の形」や武術の伝統を残す「古式の形」などもあり、こうした「形」を日常的に行うことも修行といえます。 相手を敬う礼節の下で、自分の身体と心を磨き如何に生きていくかを求める、修行としての柔道を見直していただきたいと思います。 稽古の意味を考え継続する 我が国の武道や芸道は、昔から技を繰り返す過程を「稽古」と呼びました。稽古という文字は、8世紀に作られた『古事記』に「稽古照今」と書かれ、古を考えるという意味がありました。先人のこしらえた「型」を考えその型を守り、やがて修行者の力や命を盛り込み、自分にふさわしい「形」を創作していく過程が重んじられました。 この過程を古来、「守、破、離」と呼んだのです。「守」とは教わった型を窮屈でも続け基本を守る段階であり、「破」は自分にふさわしい技を創意工夫する段階であり、「離」とは無心にして技を発揮できる段階でした。こうした、基本を守る、創意工夫、無心などが技術を通した精神修養であったのです。 剣豪・宮本武蔵は、『五輪書』の中で「千日の稽古を鍛、万日の稽古を練とす」と述べ、3年間の稽古を鍛といい、30年間の稽古は洗練された完成度の高い技を身に付ける練であると説いています。稽古とは、長い継続を要する身心の鍛練であったといえるでしょう。 柔道の打込は「型」から「形」を作っていき、乱取は「事(技)理(心)一致」を求めて続けることの出来る稽古法であります。学生時代にあれだけ青春を傾けた柔道も、就職後は稽古をしなくなる人が少なくありません。 柔道の稽古は「型」を考え基本を守り、己と向き合い自分を磨き、年齢に応じた技を創意工夫し継続していくところに大切な意義があると考えます。 柔道を通した人間教育 明治15(1882)年に、柔術を集大成して講道館柔道を創始した嘉納治五郎師範は、柔道を通して智・徳・体のバランスにすぐれ、なお余った力を世の中に貢献できる人間作りを目指しました。そのための指導法として、乱取や「形」はもちろん、講義や問答による指導も加えて心身の教育システムとして位置づけました。心の教育には2つの面があると考えます。 柔道の乱取や試合、「形」においては、技と心を一致させる集中力や克己心、積極性などの精神力は養われるでしょう。しかし、これだけでは日常生活を営んではいけません。 日常生活で必要な心とは、むしろ人間としての品格や人格の方面であり、この中には正義感や寛大さ、温厚や公正、謙譲、勤勉等の徳性があげられます。また、師範は「柔道家には武士の精神を持ってもらいたい。特に節義と礼節を大切にして世のために尽してもらいたい」と述べ、武士道精神であった礼節と節度ある行いを重んじました。こうした方面は、講義や問答による方法が必要と考えられます。 柔道は勝ち負けの競技の世界だけではありません。相手を敬う礼節を重んじお互いを高め合い、日常生活での品格も身に付けて、社会のために尽していただきたいと思います。
(筑波大学教授、日本武道学会理事)
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