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今月のことば

2021年9月

我が柔道人生を振り返って

高澤雅樹


はじめに
 この度、4月から大阪府柔道連盟会長に就任した。重責ではあるが、柔道発展のため尽力する所存である。皆さまには、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げたい。
 昨年来から猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症によって、この約1年半余の間、社会情勢は一変した。不要不急の外出自粛や密集・密接・密閉の3密を避ける等、新しい生活様式を求められるなか、大阪府柔道連盟の活動もほぼ停止状態となった。昇段試合をはじめとして、各種大会、講習会、そして道場での練習も中止を余儀なくされた。
 講道館大阪国際センターの道場には、正面に嘉納治五郎師範の御写真があり、右側に講道館大阪の前身であるニュージャパン柔道協会の創設者の浜野正平先生、左側に嘉納行光講道館名誉館長と上村春樹講道館長の御写真が飾られている。
 今、誰も訪れることの出来ない静寂の道場に掲げられている、嘉納治五郎師範遺訓を黙読すると、柔道人生についての様々な思いが蘇ってくる。
我が柔道人生の始まり
 中学1年時に、友人に誘われて柔道部に入部し、初めて柔道衣を着て組んだのが左組みであった。しかし、何故か「反則」と言われ右で組まされることとなり、現在も右組みである。その様な柔道部であるので、得意技も大内刈と内股のみであったが、大阪の中河内地区で個人戦準優勝したことがある。ただし決勝戦は引き分けで、抽選の結果の準優勝であった。それでも、嬉しかった記憶がある。3年生の時には、大阪市立修道館において初段を取得した。
 その後、私立興国高等学校に進学した。特に深い考えなどなく進学した学校だったが、その後の私の柔道人生に大きな影響を及ぼした。今考えると、現在の人生に対する考え方の基盤になったと言っても過言ではない程重要な時期であったと思う。高校で何かクラブ活動に参加しようかと考えた時、先述の様に、たまたま中学校で柔道をしていたので、軽い気持ちで柔道部を覗いてみた。当時、私は長髪で、身長178cm、体重70kg程度の体格だったが、見学していた私に対して、顧問の現八段の三木安則先生から「もし、正規に柔道部に入部するのなら、長髪だと邪魔になるから短くした方が良いよ」と声を掛けられ、私も不思議に何の抵抗もなく、次の日にあっさり丸刈りにして行った記憶がある。後日談では、クラブの先輩たちは、か細くて軟弱そうなこの新入生は1週間も持たないだろうと言っていたそうだ。確かに、周囲の先輩たちは体格も立派で、何も知らない私は「このクラブには先生がたくさんいるなぁ...」と、先輩たちを先生と勘違いしていた。同級生も鍛え上げられた体格をしていたので、圧倒されていたのも懐かしい思い出である。
 何も知らない私であったが、当時の興国高等学校は大阪では常にベスト4に入る強豪校であり、練習もそれなりに厳しい学校であることが分かってきた。「えらいとこに、入ってしもたなぁ」、中学時代もごく普通の柔道部に所属していたこともあって、高校の柔道部とはどんなものなのか、全く予備知識のない状態での入部であった。先生の指導方針は、「1年生は、腕立て伏せ50回を一生懸命しなさい。2年生は、50回を平気でやりなさい。3年生は、100回を黙ってやりなさい」といったような指導で、「させる練習」ではなく、「自らが考え、実践していく」指導であった。
 また当時、大阪府警察の副主席師範をされていた、現九段の西岡弘先生に週1回ご指導いただける練習環境であった。西岡先生からは、多くの技術的なご指導を受けたが、1番の記憶に残っているのが、「柔道は正しい姿勢で行い、投げられて、投げられて、投げられなくなった時に本当の実力がつくのである。だから投げられることを嫌がってはいけない」というものであった。生活においては、「明るさ、素直さ、謙虚さが大切で、挨拶、返事のできる人間になりなさい」と機会あるごとにご指導いただいた。
 この2人の先生の教えこそが、私の柔道人生に大きな影響を与えることになる。というのも、当時の運動部の指導というのは、現在では考えられない様な所謂「しごき」が主流の指導方法であったのに対して、西岡先生や三木先生の指導方法は、それとは全く異なるものだったからである。そして、何も知らなかった私の中に静かに深く浸み込んでいき、後に私が柔道指導者の立場になった時、指導していく上での方針ともなったのである。
 その後、法政大学に進学することになり、初めての寮生活を経験した。大阪の親元から離れ、非常に不安な寮生活であった。ここでは、先輩と後輩の上下関係も厳しいものであった。1年生が柔道部寮生全員の朝食と夕食を担当していた。柔道だけでなく、生活するとはどういうことなのかといった基本的なことを身に付けられた様に感じる。
 当時の法政大学の練習は、早朝にランニングを中心としたトレーニング、午後本校にて約2時間の乱取を中心とした練習であった。出稽古には神奈川県警や講道館によく出掛け、練習を付けていただいたものである。
 大学での練習は、強制的に練習させられるものではなく、自主自律精神によるものが大きかったので、さぼろうと思えばいくらでもさぼることができた。私も「手抜き練習」をすることもあったが、そのしっぺ返しを怖いほど感じることがあった。自分を律することの難しさを体感しながら、社会人になるための自己管理ができる人間でなければならないと痛切に思った。
 就職は、1979(昭和54)年に地元の大阪府警察官を拝命し、以後柔道特別訓練生として、全日本選手権、国民体育大会、全国警察大会、全日本選抜体重別選手権大会等に出場することができた。1987(昭和62)年に現役を引退し、警察署での指導者である柔道教師として、警察官の体力・技術力維持向上、また逮捕術の指導と共に、警察署における青少年健全育成のため、少年柔道指導に携わった。
 1992(平成4)年12月から2年間、国際交流基金からの要請を受けて、エジプト国で指導者養成とナショナルチームの指導をさせていただいた。この時は、世界は非常に広く、国によって宗教、文化、習慣やものの考え方が千差万別であり、自分の経験知だけで判断すれば大きな誤りが生ずるであろうと痛感し、非常にワールドワイドな貴重な経験を積むことができた。
 2017(平成29)年3月、大阪府柔道主席師範を最後に退職することとなったが、大阪府警在職中から、大阪府柔道連盟理事、副理事長、理事長を歴任したことで、本年4月から会長を務めることとなった。
 我が柔道人生を振り返ると、西岡先生をはじめとした多くの先生に出会い、指導を仰ぎ、多くの先輩、仲間、後輩に巡り合い支えられ、お互いに切磋琢磨した柔道人生であった。柔道を通じて多くの人と関わり「人を大切にすること」こそが柔道精神の根本ではないだろうかと考えている。
 西岡先生、三木先生の教えを常に実践しようと努力しているが、奥が深く、まだ道半ばの思いである。これから先も、更に多くの人と巡り合い、感謝の気持ちを常に持ち、礼節を守り、身体精神を鍛練修養したいと改めて思う。
おわりに
 本稿は、7月上旬に執筆しているため、東京オリンピック柔道競技の結果は知る術もないが、日本選手団の礼節を重んじる態度、「一本」を取る柔道というものを世界に知らしめ、間違いなく大活躍することであろう。そして、それを目にした多くの人たちが柔道ファンになることを切に願うものである。
               (大阪府柔道連盟会長)

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