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今月のことば

2007年01月

年頭に当って

嘉納 行光

 平成19年を迎えるに当たり、心から新春のお慶びを申し上げる。

 本年は最近迄実現は極めて難しいと考えられて来た男女合同開催の全日本選抜柔道体重別選手権大会、及び嘉納杯国際大会が新たな試みとして実施される事となり、充実した内容にするべく関係者は鋭意努力中である。それに加えて、講道館柔道形国際大会を講道館で開催する計画が目下真剣に検討され、色々と困難な問題を含んでいるが、是非本年秋を目途に実行に移したいと云う情況にあるので、今迄の経緯も含めて形について述べてみたい。

 形は嘉納師範が乱取と同じに重視し、車の両輪の如く両方の熟達に努める様指導したと聞いている。講道館の資料室の正面には勝海舟の書の額が掛けられている。これは明治26年12月、小石川下富坂に107畳の大道場が新築され、翌年五月盛大な落成式が行われた際、来賓として臨席した勝海舟が師範の形の妙技に感銘し、漢文体の名句を揮毫して師範に贈ったもので「無心にして自然の妙に入り、無為にして変化の神を窮む」と書かれている。
 この様に師範は形の重要性を説くのみならず、自らも美事な形を晩年迄演じられ、その一部はフィルムに残されている。又師範と直接接した時代の名人と云われた高段者は、形においても皆それぞれの持味を生かした名人の域に達していた。この様に云えるのは、その頃は柔道人口もさ程多くなく、又師範直接の指導の下、乱取も形も一体のものとして修行に励んだ環境を考えれば、当然の事であろう。
 併し時代と共に、形への重要性の認識が薄らぐ傾向は、師範在世の時から見られた様であるが、戦後柔道の国際化が急速に進むにつれて、柔道の競技面が重視され、試合に勝つ事に関心が集まる様になった。一方その様な時代の趨勢にもかかわらず、講道館は乱取と共に形重視の姿勢を堅持して来た事も事実である。講道館恒例の鏡開には、全部の形の演技がその年選ばれた人達によって厳粛に行われ、又毎年行われる夏期講習会の第一部では、形の講習指導が集中的に実施され、全国からは勿論最近は特に海外からも多数の参加者が受講し、これ迄以上の活況を呈している。
 現在、柔道ルネッサンス運動が地道な努力の下に行われているが、その目的とする所は講道館柔道創設時の原点に帰って、嘉納師範の理想とする本来の柔道の普及発展に努力しようと云うものである。その活動の影響によるものか、形についての関心が昨今高まって来た様に思われる。又昨年で十回を迎えた全日本柔道形競技大会の開催や、一昨年大幅な改訂を見た昇段規定に昇段の際の形重視の姿勢が織り込まれた事等が、この気運への追風となった事も事実であろう。

 一方世界に目を転じると、最近特にヨーロッパに於て形の関心が急速に高まり、昨年十月三回目のヨーロッパ形選手権大会がイタリアのトリノで開催された。従来からヨーロッパを始め海外の柔道人で、形の修得に熱心な人も決して少なくはなかったが、個人的な資格が大半で、中には勝つ事のみに重きを置いた現在の柔道の流れへの反発から、形に熱心に取り組んでいる人も多いと云う側面もあった。併し我々に取っては予想外の急速な進展であったが、ヨーロッパ形選手権の実施は、形への取り組みが最早個人の範囲からヨーロッパ連盟と云う大きな組織に変った事を意味している。同連盟は形はあく迄も講道館柔道の形とし、これを厳格に遵守する事を前提に統一された講道館の形と、形の審査規定の教示を強く求めている。又時機尚早で見送りになったが、IJFでも形の世界選手権を開催したいと云う動きがあるやに聞いている。
 この様な世界の流れに対し、色々と難しい問題もあるが、この際日本が形の国際大会を開催する事に踏み切るべきだと云う考えが関係者の間で強まって行った。併し実行に移す為には少なくとも次の様な諸点の解決が必要となって来る。

 先ず第一に形の統一化の問題がある。これについては以前からその必要性は認識されていたが、実際には完全な統一化は長い間実施できなかった。それには色々な理由が考えられようが、本来形とは伝承的に師から弟子に引き継がれて行く性格の極めて強いものである。そして熟達の域に至る迄には多年にわたる修行と努力を要するが、この域に達して演じられる形は、それぞれの個性の染み出た味と深みのある一つの芸術だと云われている。それだけに演じられる形は人によって多少の差異が生じる事も考えられ、未だ柔道がそれ程大きく普及していない頃程無理に統一化の必要もなく、個性の表れとして容認する雰囲気が強かったと思われる。
 今日では形は50畳の広さが基準となっているが、師範在世の頃を含めて以前は地方での公演の折等50畳に満たない狭い場所で行われた事もあり、その場合は臨機応変その場の情況に合わせて美事な形が演じられたと聞いている。又戦後間もなく講道館で錚々たる高段者を中心に形の統一化の会議が試みられたが、議論伯仲し統一化は容易でなかった。と云う話も聞いている。
 併し戦後柔道が世界の柔道として大きく普及発展して行くと、指導者によって教える形に差異があると云う事は、習う者に取って混乱を招く結果となった。特に一プラス一は二以外ないと考える合理的な欧米人に取っては、講道館柔道の形と称するものに違いがあるとはどう云う事か、日本の柔道界はまとまっていないのではないかと云う、あらぬ誤解と不信を招きかねない情況が見られる様になった。そこで平成二年初頭、地域的にも関東流、関西流と云われて特に差異の大きい古式の形を対象に、全国十地区から選ばれた各二名の代表と講道館関係者からなる統一化の会議が開かれた。当初十分な討議ができる様二泊三日を予定したと記憶するが、統一化の必要性に対する共通の理解と認識の上に立って会議は二日で終り、関東、関西それぞれの部分を取り入れた統一案がまとまる事となった。
 これと併行して講道館では七つの形をビデオにおさめ、日本語の他に英語版も現在総て完了している。そこで日本での形の国際大会実現の為には、参加国に対し事前に統一化された完全な形のビデオを教科書として送付する必要がある。その為には全てのビデオの内容を再検討し、必要あれば手直しする事も考えねばならない。又時代の趨勢としてビデオからDVDに移りつつある現状に鑑み、かなりの費用は要するがこの際、全てのビデオを経年劣化しにくく又収納スペースも節約できるDVDに変える事も併せて検討している。長々と書き過ぎたので、国際大会実現の為のその他の問題点について簡単に述べる事とする。

 第二の問題点として考えられる事は、審査規定の作成である。ヨーロッパの大会では減点法が採用されたと云う。このやり方はミスの度合について的確な評定が決められるならば、客観性を満たした方法と云えるであろう。併し形とはミスがなければ完璧と云うものではない。先にも述べたが演技によってかもし出される個性、深み、味等の芸術的要素も大切である。併し極めて主観的であるこの芸術面の評価を、どの様に具体的に規定するかは極めて難しい問題である。

 第三に審査員の問題である。適切な審査の為高いレベルの審査員を考えるならば日本人のベテランで占めれば無難であろうが、国際大会と云う立場からは、外国人も適当な人数を大陸別に招かなければならないであろう。その場合正しい審査の実施可能な範囲としてどの位外国からの審査員を受け入れられるかも、重要な検討課題であろう。

 問題はその他色々あるが、形国際大会の日本での開催実現の為、昨年末講道館と全柔連は合同で実行委員会を立ち上げ事務局も設置した。これから具体的に多くの問題が協議検討されるが、関係者の努力と熱意によって本年秋頃にこの大会が開催の運びとなり、講道館柔道の形の世界への普及発展の第一歩となればと希望する次第である。

(講道館長)

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