今月のことば
2014年09月
柔道歴六十年の軌跡
二宮和弘
テレビで見たサッカーのワールドカップブラジル大会では歯がゆい思いをし、地元の福岡で開催された金鷲旗高校柔道大会では目の前で熱戦を繰り広げた将来の日本代表候補たちの輝きがまぶしかった。主役の選手たちとともにクローズアップされたのが、監督をはじめとする指導陣。自らの歩みをあらためて振り返るとともに、節目、節目で導いていただいた先生方の姿が浮かんだ。柔道を始めて今年でちょうど、60年になる。
明治生まれで体が小さかった祖父は、出産時に体重が4500グラムもあった私の誕生を大変喜んだそうだ。当時は体の大きな子どもは柔道か相撲を習えという時代。祖父は若い頃に柔術をやっていたこともあり、柔道を勧めた。小学3年で始め、最初に教わったのは礼法だ。時間をかけ、丁寧に指導していただいた。そして受身。後方受身から前回り受身まで、完璧に習得しないと技の練習や乱取などには進めない。毎日2時間で週に5日。寒さが厳しい冬に半年も続いた。子ども心ながら嫌気が差した。しかし、この半年があったからこそ、その後に大きなけがをすることもなく、競技生活を全うできたのだと思う。基本の大切さをあらためて痛感する。
その日、その日の調子次第という程度だった博多高校時代。教わったのは「背筋を伸ばせ」「姿勢を正せ」「正しく襟、袖を持て」。徹底していた。これが柔道人生の一つの転機となった金鷲旗高校柔道大会で生きた。体が大きく、正攻法の柔道だけが取り柄だった私は10人ほどを抜いてベスト8に入った。現在は全国から男女約500校が参加しているが、当時は男子のみで参加校も九州と山口からで3分の1程度。それでも九州の高校のレベルは高く、インターハイや国体に出場できない埋もれた人材を発掘しようと、関東、関西の大学もスカウトに訪れていた。全国的には無名な私に天理大学から声がかかったのだ。全国一の猛練習をすると評判だった大学で本格的な修行が始まった。
練習で重視されたのは走ること。走るのが遅いと少々強くてもレギュラーとして使ってもらえない。乱取では最後まで、一時たりとも休むことが許されない。「走れ、走れ」そして「技を掛けろ、掛けろ」。松本安市先生の声が今も耳に残る。スタミナ、猛練習に耐える体力と精神力を培うことができた。
もっと強くなりたい。全日本選手権大会、世界選手権大会などで勝ちたい。その気持ちを胸に、1970年の卒業後は、東京オリンピック金メダリストの岡野功先生が立ち上げたばかりの正気塾へ。柔道に没頭した。朝は6時に起きてランニング、腕立て伏せ、うさぎ跳び、筋力トレーニング、樹木に帯を巻き付けての打込などを2時間半。朝食後は当時、東京・文京区の講道館近くにあった警視庁道場へ。在京の学生や警察官らが集い、?木長之助氏や上口孝文氏、遠藤純男氏といった猛者との稽古、300本ほどの打込を重ねた。午後は大学の道場に出向いて3時間の稽古と800本から1000本の打込。95kgの体重は夜、90kgになった。1日に9時間ほどの猛練習に耐えることができたのは岡野先生の目があったから。それだけの時間、弟子の稽古を見るのも大変だ。縁があって福岡県警に入るまでの2年間、常に厳しく、優しい視線で見守っていただいた。各所、各所で練習しながら九州を一周したことも、今ではいい思い出だ。
一人でやり抜くのは苦しく、難しい。生来の怠け者である私にとって、素晴らしい指導者との出会いがなければ、オリンピックや世界選手権での優勝も夢のままで終わっていたに違いない。2020年の東京オリンピック開催が決まり、11月で68歳になる今も柔道の大会で選手たちを見守ることができるのは幸せだ。ただ気になることもある。小学生の大会で目先の勝利ばかりを目指しているのではないかと思わせる試合が散見されることだ。オリンピック選手が使うような難しい技を真似したり、審判の目を欺くかのように攻めたり、時間稼ぎをしたり。教え子は指導者を映す鏡。オリンピックは最終目標であり、目の前の目標は別にある。選手の成長に合わせて目標は変わっていく。指導者は肝に銘じてほしい。
世界との戦いは厳しさを増す。団体競技のサッカーは戦術にも左右されるが、日本柔道が世界で勝つためには技術で立ち向かうしかないと確信する。日本が完全制覇した最後の世界選手権となった1973年のスイス・ローザンヌ大会。上村春樹氏との決勝戦の前、休息していたサブ道場で旧ソ連の選手と腕相撲をすることになった。その選手は腕力が強く、以前対戦したときには苦戦したが勝っていた。相手は片手、私は両手で勝負し、あっという間に負けた。金メダルを獲得した試合内容以上に鮮明に覚えている出来事だ。日本人の体格は向上しているとはいえ、体力が伴っていない。海外勢のパワーに力で対抗するにはまだ時間がかかる。「一本」を取る柔道の技を磨き、自分のものにする。正しい組み姿勢からの捌き、崩しを身に付ける。その一助を、指導者は要所、要所でしなければならない。
柔道人生のレールは競技の現役終了が終点ではない。長い、長い軌跡には進むべきレールを切り替えるさまざまなポイントがあった。これからもあるだろう。自身を、そして柔道を愛する人を正しい方向へと導く眼力と判断力を備えているか。柔道歴が還暦を迎える中、自問自答している。
(九州柔道協会理事長、福岡県柔道協会理事長)
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