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今月のことば

2004年01月

年頭に当って

講道館長 嘉納行光

 平成十六年を迎え、謹んで新春のお慶びを申し上げる。

 思えば一年があっと云う間に過ぎた感じもするが、昨年は相変らず国際的にはイラク問題、北朝鮮問題等で不安定な情況が続き、又国内に於いては、長引く経済不況からの好転は見られず、政治の面では十一月の総選挙の結果、共産党、社民党が惨敗し、自由党を吸収した民主党の躍進により将来的に自民党との二大政党政治実現の可能性も考えられる変化が見られた。

 一方柔道界について昨年を振り返ると、色々な事があったが、先ず第一にあげる可きは八年振りに日本で開催された大阪世界柔道選手権大会であろう。多くの関係者の努力と熱意によって九十七の国と地域から六百名を越える参加選手を迎える事となり、大会は無事成功裡に終了した。

 今回は、柔道を初めて手掛ける事となったフジテレビによって大会の放映が行われたが、久々の日本での開催と云う事もあってか九月十一日から十四日迄の四日間の世界選手権と十五日の世界柔道国別団体トーナメントを併せた五日間の大会の視聴率は、十五・五%から二四・七%、平均二十%を越える数字となり、この種の大会としては予想を遙かに上廻る高視聴率であったと聞いている。それだけ柔道に対する関心が高いと云う事は喜ぶべき事であるが、これと関連して様々な意見や感想が電話、ファックス、ホームページに全国から殺到し、余りの数にホームページを閉鎖せざるを得なかった。

 意見の内容は、勿論日本選手の活躍と美事な技を称える声も多く見られたが、「テレビの放映がショー的である」と不快感を表すもの、「ポイント柔道により組まない柔道は見苦しい」、「ガッツポーズは良くない」、「負けた後正しい礼をせずに、ふてくされた様に退場する選手の態度は感心しない」と云った意見に加えて、日本選手の中に赤髪で出場した者があった事は、一般視聴者に相当なショックを与えた様で、これについて「日本を代表する人間に対して外見だけを取り上げて不快だと云うのは放漫な考えだ」と云った肯定的な意見もあったが、「日本代表選手の活躍に拍手、ただ一つ残念で憤怒の気持になるのは赤い髪、髪の色や形まで規制するのは行き過ぎかもしれないが、このままではエスカレートする気配ありと感じた。日本代表に相応しい品位品格も必要である。憧れの日本代表選手を子供達が見ている」と云った意見が大方の考えを集約していると思われた。

 日本の柔道が今や世界の柔道として広く普及発展した現在、この国際化に伴い本来の柔道の有する教育的精神的面が軽視され、競技面偏重から更には勝つ為のみを重視したポイント柔道が大きな流れとなった。この世界の現状に対し、日本は勿論のこと数は少くとも世界の心ある人達の深く憂慮するところとなっている。換言すれば、それだからこそ嘉納師範の理想とする正しい講道館柔道を、日本を中心に世界へ改めて普及実現しなければならないと云う大きな課題が、我々の責務使命として重くのしかかっているのである。容易ではなく又長い期間を要する事は承知の上で、我々は地道な努力を重ねて来た。数年前から始められた派手な進展こそないが、柔道の原点に帰ろうと云う柔道ルネッサンス運動もその一環である。そして今回の世界柔道選手権日本開催に依って寄せられた多くの意見、批判は、我々が常々強く願っている本来の柔道について多くの人々が潜在的であれ感覚的であれこれを望み、大きな期待を抱いている事を物語るものである。

 大会終了後、時を経ずに全柔連では通達を出した。「日本代表選手・役員等に関する申し合わせ事項(ガイドライン)‐全日本柔道連盟は日本代表選手、役員等に対し、代表としての名誉を汚さない様要請する。代表選手・役員等は、身だしなみ(服装、髪型、髪の色等)を整え品位を保ち、礼法に於いても、代表の地位を汚さないよう範を示すものでなければならない」という短い文面である。併しその動機は投書に驚いて出した訳ではない。本来の柔道のイメージを傷付ける様な行動はできるだけ慎んで欲しいと云うかねてから我々が抱いていた思いを、この機に公式の文書で示したもので、規則で縛る事や罰則を課する事がその目的ではなく、我々の目指している本来の柔道を少しでも若手の指導者及び選手達に理解してもらい、行動につなげて欲しいと云う願いがこめられている。

 我々の目指す本来の柔道は極めて広く深い内容を含んでいるが、その本質の一端を無条件で人々に知らしめるのは、礼節を重んじた立派な態度で試合に臨み、切れあじ鋭い技で美事に一本を制する選手の活躍であろう。その舞台がオリンピックや世界選手権の様に大きな大会程、国際的な効果は絶大である。柔道は礼に始まり礼に終ると云われている通り、試合の際には礼をする事が規則で定められている。併し本来の趣旨は、規則だから行うと云った形式的なものではない。相手があるからこそ自分があると云った相手に対する敬意と感謝の気持が、礼の動作にこめられている。この様な考え方は、自分をアピールする事を当然と考える欧米人と比べると、東洋的な文化に根ざしているのかもしれない。併し外国人の柔道修行者で、これを理解している者がある事も確かである。

 現今自己主張の表現としてパフォーマンスが若者を中心に流行の様であるが、欧米人がやる場合は自然な感じがするが、我々がやると違和感を覚える事が多いのは文化の差によるものであろうか。特に柔道にそぐわないと感じるのは技の攻防によって勝負を決する試合は、およそショー的性格と縁遠く、敢て柔道的パフォーマンスと云うならば、それは観衆をうならせる様な鮮かな一本が決った時であろう。又その様な瞬間、勝った選手が思わず拳を握りしめる姿を時として見る事があるが、我々は不自然を感じない。それはことさら自己をアピールしようとする意図とは無縁な自然の姿だからである。

 くり返しになるが、本来の柔道とは競技面だけではない。併し競技面での柔道の役割も重要である。嘉納師範が講道館柔道を創始した当初、柔術諸流との試合で柔道が優れた技と実力を以って大勝した事が、世間にその存在を知らしめ、普及発展の基となった事は否めない事実である。同様に日本選手を中心とした一本取る柔道がポイント柔道を圧倒的に凌駕する事となれば、柔道に対する認識も変り、本来の柔道へと復帰する大きな原動力となるであろう。その意味で今迄に国際的名選手として活躍して来た多くの日本選手は、美事な技を駆使する事により、柔道の妙味を示す大きな役割の一端を果して来た。

 欧米人に比べて先天的に腕も短く肉体的に非力である日本選手にとって、本来の柔道の根幹である磨き上げた一本取る技でしか勝つ事はできない。併し力に勝る技への熟達の為には、二倍三倍の努力と忍耐と時間が必要である。そして名選手と云われる人程天賦の才に加えて、この様な厳しい試練を乗り越えて来たと云う事ができるであろう。私は今後も日本の選手がこの柔道の本道を忘れない限り、苦しい事ではあるがその努力は続くものと信じている。

 最後に一言加えるならば、選手として活躍している時代にあっては、選手は試合に勝つ事を最大の目標とし、嘉納師範の理想とする柔道の本質について目を向ける余裕などないであろう。それが自然であり当然である。併し私が願うのは、将来受け入れる窓だけは少しでも開けて置いてもらいたいと云う事である。そして指導的立場の人、特に直接選手と接する機会の多い若手指導者には、折に触れて柔道の本質の一端なり選手に聞かせて頂きたい。柔道を日本の伝統文化の一つと云うならば、夫々の文化の本質は深い理解の基に、時代時代の流れにさらされ乍ら正しく継承されて行かなければならない。現在選手の立場にある人もやがては指導者となり、又柔道人として次の世代へ正しく柔道を伝える責務を負っているからである。

 本年はオリンピックの年である。昨年の世界選手権では日本は金6、銀1、銅2を、又サーズ流行の為世界選手権の後に開催となった済州島でのアジア柔道選手権では金6、銀5、銅4を獲得し、それぞれ立派な成績をあげた。併しこの二つの大会を通じて全階級のオリンピック出場権を得るに至らなかったので、カザフスタンでのアジア柔道選手権大会で出場権を完璧にした上で、昨年の日本選手の活躍をバネに、アテネでのオリンピックの大舞台で日本の代表選手が最大の実力を発揮し、美事な技と気力で立派な成績をあげて、日本柔道ここにありと世界に示す結果となる事を強く期待している。

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