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今月のことば

2021年6月

未来への遺産としての柔道

川人芳正


田舎育ち、田舎暮らしと柔道
 若者は、高等学校を卒業すると、大学への進学や就職のため、東京や大阪のような大都会へ移ってゆく傾向がある。しかし私の住む町は、進学するところもなく働く職場も限られているため、若者が少なく高齢者の多い静かな田舎町である。私の住んでいるところは四国の中心部で、高知を水源として流れる吉野川の北岸に位置し、南に四国山地、北に讃岐山脈、西方には四国で2番目に高峰の剣山があり、冬季には積雪が太陽に照らされ、きらきらと輝いている。自宅の周りは民家が点在し、夏は稲作、冬は冬物野菜の栽培があちこちで行われる自然豊かな町で、大都会とは真逆の存在である。
 私の家は兼業農家で、3haの農地を耕作している。昔は稲作中心であったため人が住み込みで働き、それを支えていた。家の周りは多くの樹木が季節の花を咲かせ、野鳥も飛び交い、楽しませてくれる。
 私は若い頃に都会生活を経験したが、今はこの田舎暮らしが心身の健康に一番よい環境だと肌で感じている。もっと多くの人が田舎の良さを理解してくれたらと思いながら日々を過ごしている。
 私は、幼い頃から武道に興味があり、中学2年生の時に柔道場が近所にできたので早速入門した。僅か20畳ほどの道場で、鞍馬道場という勇ましい名前であった。道場主は都会で生活をしていたが、人生に悩み、生活に頓挫し、途方に暮れ、京都の鞍馬山で座禅を組み修行したそうである。そして田舎に帰り若い人の心身の修行になればと道場を開設したそうだ。道場主は時折、苦労話や経験からの人生講話などをしてくれ、純真な心で傾聴したことを思い出す。柔道の指導者は軍隊から帰還したばかりの人で、門人は中学生以上の大人が半分であった。今思い出すと強い人に投げられて受身を覚え、投げられながら技を身に付けるといった、昔ながらの乱取中心の稽古であった。その様な環境で高校卒業まで柔道を学んだ。近所には京都武道専門学校を卒業した県警師範の湊庄市先生、向かいの村には同じく京都武道専門学校卒業しドイツへ柔道指導に赴いていた阿部謙四郎先生がいらして、柔道の偉大さ、奥深さを子どもながらに感じていた。両先生は柔道に憧れている若者にとって胸が熱くなる存在であった。
 私は7人兄弟の長男だったので、農家の後継ぎになると私自身も家族も考えていたが、高校の友人たちは県外へ進学する話をしていた。高校3年の時に担任と相談し、柔道のできる大学へ進むことになった。大学4年間、真面目に過ごし、柔道の実力は学年で下の方だったが、講道館の月次試合や紅白試合に出場し、多くの経験を積むことができた。三船十段の燕返やその理論を拝聴する機会に恵まれ、醍醐先生との稽古で投げられた豪快な移腰は今でも残像として思い浮かぶ。人並みの柔道経験を積み、どうにか教員免許も取り、地元に戻り念願の教員として柔道を教える立場になった。その時に、私たちがこれから継承していくものは柔道が青少年教育にとってかけがえのない教育材料だということを心に刻んだ。
 
我以外皆我師 創意工夫
 初めての赴任先は、剣山近くにある山間の学校で、川のせせらぎと鶯の鳴き声がする、桃源郷のような環境の学校であった。教師経験のない私には、四苦八苦のスタートだったが毎日が新鮮であった。そこから37年間、教員として全うすることができた。私の教員時代は昭和30年代の後半で、1クラス55人と生徒数が多かったことを覚えている。彼らは卒業すると都会へ働きに出ていく者が多かった。日本は高度経済成長期の真直中で、都会は活気に満ち溢れ、1964(昭和39)年には日本でアジア初となるスポーツの祭典・東京オリンピックを迎えた。
 長い教員生活の中で、心の底では絶えず柔道に関わりを持ち「我以外皆我師」の心で柔道の創始者嘉納師範の精神に立ち返りながら、生徒たちや関係する柔道家に接してきた。向こう見ずで無鉄砲な生徒が多く在籍する学校の教員だった時は、生活・生徒指導の先頭に立ち、正常化に尽くした時期もあった。その時は私が柔道を指導していたので、生徒たちが信頼してくれたこともあったと思う。

徳島の現状と指導の基本姿勢
 現在は徳島県柔道連盟の会長として、柔道の普及・発展のため、多くの役員や若き指導者の資質向上を目指し努力している。新型コロナウイルス感染症の拡大が収まらず、人々の生活は制約されている状況だが、本県は東京オリンピック・パラリンピックに参加するドイツチームの事前キャンプ地であるため、現在も県民を挙げて取り組んでいるところである。徳島県知事は、高校時代、柔道に熱中した方で、柔道に理解がある。知事は当時を振り返り、母校灘高校の校訓と嘉納師範の言葉が「精力善用・自他共栄」で同じだとよく聞かされ、柔道を経験したことが誇りであると述べている。
 本県柔道連盟には課題が山積しており、中高の指導者不足や競技人口の減少については、簡単に解決できないことと考えている。私は柔道に興味を持つことを重視し、保護者たちの協力を仰ぎながら「継続は力なり」を目標として小学生の指導をしている。常時20名位の子どもたちが練習に参加しているが、低学年と5・6年生には体力差や進歩の内容が違うため、創意工夫しながら、また全柔連の指針に沿ってケガをしない、させないよう気を配っている。無限の可能性を秘めた子どもたちの未来を夢見ながらの指導は私の生き甲斐でもある。

柔道の指導や練習、試合などで社会性を育て、未来を生きる青少年を育てる
 少年の指導においては試合に勝つことも大切だが、道場での礼法・姿勢、釣り手、引き手、力学的な力の方向などを子どもの理解度に合わせ指導することにしている。子どもたちは、それぞれ運動能力、理解度、性格が異なるので、個性に合わせて教えなければならない。これは中学生や高校生も同様であると考えている。また子どもたちの指導には忍耐と寛容が大切である。中学生や高校生になると、自分で考えて行動できるので、言葉を選んで助言するのが適切ではないかと思う。子どもたちの練習を毎日見ていると、高学年の生徒が低学年の生徒にやさしく教えている光景を見ることがある。それは本当に微笑ましく、教える側も、教えられる側も、自然に心の成長につながっていくことが感じられる場面である。
 道場には、指導者、保護者、仲間たちがいて、道場での礼儀や許されること、必要なことなど、社会常識は自然と身に付く。私どもの道場には、巣立っていった中学生や高校生が訪ねてきたり、卒業や就職といった人生の節目には後輩たちと交流の場を設けたりして、社会性を育むことも大切にしている。
 最後に、東京オリンピック・パラリンピックの柔道競技によって柔道の素晴らしさが日本から世界に発信されることを心から願い擱筆する。
                     (徳島県柔道連盟会長)

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