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今月のことば

2010年08月

段証書と三つの初心を忘るべからず

富澤政信

 地方で柔道を始めた者が講道館を意識するのは、初段の段証書を授与され、入門を許可され、初めて講道館柔道の一門下生となったことを自覚するからです。不勉強の極みでありますが、昨年、群馬県柔道連盟会長に任ぜられるまで、段証書の持つ意義を深く思慮する機会がありませんでした。
 平成22年春、関東柔道連合会の段証書伝達式の席上で、関柔連名誉会長蓮見弘先生から、五段の段証書と六段以上の段証書に嘉納師範が託した意義に大きな差異があることを教導されました。早速、自宅の段証書を見直してみて、初段(弐段、參段)と四段(五段)と六段以上と3段階に区別されていることを始めて知った次第で誠に赤面の至りであります。
 因に、浅学非才でありますが、私なりに解釈してみました。

 1.初段(弐段、參段)の証書
 「日本傅講道館柔道ノ修行ニ精カヲ尽シ大ニ其の進歩ヲ見タリ依テ初段ニ列ス向後益々研磨可有之者也」柔道を理解し、正しい柔道を追求し、初心のさらなる確立を図る第一段階です。

 2.四段(五段)の証書
 「多年日本傅講道館柔道ノ修行ニ精カヲ尽シ業精熟ニ至レリ依テ四段(五段)ニ列ス向後益々研磨シ斯道ニ於テ可期為先達者也」柔道の心技体を十分に修得した上で、更なる錬磨を積み重ね、立派な指導者になるよう努力しなければならないというものです。

 3.六段以上の証書
 「多年日本傅講道館柔道ノ修行ニ精カヲ尽シ技熟達ニ至レリ依テ六段(七段、八段、九段、十段)ニ列ス向後益々研磨シ他日斯道ニ於テ可期為師範者也」柔道を十分にマスターして、嘉納師範が目指した「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は攻撃防御の練習に由って、身体精神を鍛錬修養して、斯道の神髄を体得し、己を完成し世の役に立つ人間たれ」という考えに一歩でも近づけるように努めることを究竟の目的とする第三段階の奥行きの深いものです。

 而して、段証書の持つ意義を理解したとき、私はかねがね座右の銘としている「三つの初心を忘るべからず」(能学の開祖?世阿弥?の花伝書の教え)を想起いたしました。
 1.是非の初心を忘るべからず。
 2.ときどきの初心を忘るべからず。
 3.老後の初心を忘るべからず。
 1の?是非の初心?は私達が柔道を始めるにあたり、柔道に対する好奇心、冒険心、向学心をもって情熱を注ぐのが常でありますが、長い間には自然と情熱が薄れたり、壁にぶちあたったりするのが人間の弱さであります。二段、三段は柔道修行の岐路です。ここで意欲をもって柔道を修得しようとする初心に立ち戻り、志を高く鼓舞する段階に当てはまります。
 2の?ときどきの初心?はまさに四段、五段の人達が経験する初心で、これまで培ってきた修練や研究を集約して、さらに初心の修正や完成を目指し、自己のためのみならず後輩の良き指導者になり得るよう初心の継続、努力を要する段階と言うことができます。
 3の?老後の初心?ですが、名人、達人と称される人でも、一つのことを成し遂げるのは大変難しいものです。しかし、より良きものを目指して努力を続けますと、老後になっても思考力、技術力、判断力はアップします。欲もなく枯れた心境で一つの道を追求しているうちに、若い後進の初心の琴線に触れる素晴らしい技術と識見を取得します。六段以上は柔道を追求し師範に一歩でも近づく努力をする段階なのです。私事ではありますが、昭和38年秋、大学の小さな道場開き式に晩年の三船久蔵十段(日大病院に入院される2年前)に御来臨いただきました。その折、同窓会長の粋な取り計らいにより、名人の空気投(隅落)の受を命じられました。名人は背広姿で私は柔道衣の出で立ちで、バケツの水を放り投げる要領で3度受身を経験しました。名人の理合いの素晴らしさに私は感服いたしました。その時名人は「君は何段ですか?」と質問され、私が「四段です」とお答えしたところ「君の受身は五段に価する」と社交辞令の褒め言葉を戴き感激いたしました。そのことも私が柔道を続ける小さな誇りと動機になりました。一芸一道に傑出した人物は道を広めるために、ステップ バイ ステップと段階を踏んで目標を新たにして修行を続けるという同じような思考過程で人を指導していたのでは、と推察いたしました。

 昨今、国内に於ても中央と地方の柔道に格差が生じておりますが、地方にあっても地道な稽古を積み重ねて飛躍を夢みたいと思います。

(群馬県柔道連盟会長)

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