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三船久蔵 Kyuzo MIFUNE(1883〜1965)

生年1883.4.21
入門1903.7.26
初段1904.10.23
二段1905.2.19
三段1906.1.14
四段1907.5.23
五段1909.1.9
六段1917.1.14
七段1923.1.14
八段1931.1.25
九段1937.12.22
十段1945.5.25
没年1965.1.27

 1883(明治16)年、岩手県南九戸郡久慈生まれ。宮城県立仙台第二中学校へ入学し、自ら学校に道場を造るなどして柔道を始めた。
1903(明治36)年、上京し講道館に入門を果たし、前田光世・伊藤徳五郎・轟祥太・佐竹信四郎など、仙台には居なかったような猛者たちがひしめき合っている講道館で、三船は嬉々としてそれに揉まれ、修行に励んだ。159cm57kgと体は小さかったが、負けん気は人一倍強く、体の小ささは練習量と頭の良さで補った。他人が1時間稽古するならば自分は倍の2時間稽古をし、また合理的・科学的な技の掛け方を研究し、めきめきと実力をつけ昇段を重ねていった。
こうした研究の成果として編み出されたのが隅落(すみおとし)という技である。隅落の名は嘉納師範が名づけてくれたもので、別名「空気投」とも言う。三船は、相手に一指も触れず気合によって敵を倒す技をなんとか編み出そうとし、それに近い形として、手だけが触れたときの体さばきによって敵を倒す方法を考えた。そうして苦心の末完成したのが、「敵の両袖を取って、動く瞬間に身を低めつつ、敵を押し上げてその中心を奪う」隅落(空気投)であった。三船のこの空気投は、後に一世を風靡するまでに有名になる。
東京帝国大学・明治大学・日本大学・國學院大学などに指導にも行き、1945(昭和20)年には十段となり、戦後は講道館常任相談役として後進の指導に務めた。また、この頃より三船の柔道研究は新たな境地に達している。相手を倒すことより、倒れないことを志すようになり、そのためには常に中心を失わないこと、つまり「球」を目指すようになった。球には常に真ん中に重心があり、それを意識すれば倒れない、と考え、そして「押さば回れ、引かば斜(ななめ)に」という原則を打ち立て、球の中に、柔道の原理以上に人生の原理をも見出したのである。そして三船は、人生においても心を空にして、その中心を保ち続けること、常に中心へ帰一することが肝要である、との心理に至ったのであった。
20年近く「十段」として講道館・柔道界を牽引してきた三船は、1965(明治40)年、その生涯を閉じた。その功績により、講道館葬が執り行われた。

参考:「講道館柔道十段物語 戦後柔道界を支えた名人 三船久蔵」本橋端奈子