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今月のことば

2015年12月号

柔道との出会いと礼法

山本典夫

 私は昭和27年4月、高校に入学し、沢山の夢と希望を持って新しい生活を迎えました。クラブ活動は文化系・体育系があり、その選択にも迷いながらの一番楽しい時であったかも知れません。放課後には沢山の部から先輩の勧誘がありました。その中で相撲部からも勧誘があり、自分は特別身体が大きいわけでもなく驚いていましたが、あまりの熱心な誘いに断りのよい理由もなく悩み続けていました。

 学校には土俵がありましたので、ある日の放課後こっそり廊下から稽古の様子を覗きに行きました。褌を締めての稽古を見て、裸姿になることは自分にはとうてい無理だと思ってしまいました。しかし、このまま何かの部に所属しなければ先輩方からの誘いを断ることも出来ないと思い、友人が柔道部に入ったこともあって、柔道衣なら裸にならないで済むと考え、父親に柔道部に入りたいので柔道衣を買ってほしいと頼んで用意してもらい、入部することになりました。

 それが柔道を始めるきっかけになりました。が、本来格闘技が苦手であり、素質もなく相撲部の勧誘から逃れるために入った柔道部であったので、上達も遅く進歩は全くなかったと振り返っています。周りの友人たちは初段を取得するも、私は全く進歩のない状態が続いていました。しかし、弱いながらも稽古は大好きで、2年生の12月にやっと初段を取得することができ、そのときの嬉しさは天にも昇ったような気持ちであったと覚えています。その後は益々稽古が好きになり、学校でのクラブ活動後は、町道場に出かけ一般の強い人たちから指導を受けたのでした。

 その中には、松林冨士男先生・山本晋司先生など尊敬できる素晴らしい先生方がおり稽古をつけて頂き、その頃から何となく柔道の技も理解しだしてきたと思われます。お2人から指導して頂いたことが、その後の指導者としての人生に、大きく役立ったと思われます。

 さて、現在全日本柔道連盟では人間教育を目指し、柔道「MIND」プロジェクトを立ち上げ「礼節を守り、品格のある柔道人の育成」に取り組んでおりますが、まだまだ指導者にも浸透していない感があります。そのため、指導を受けている子どもたちにも徹底していない面が多いのではないでしょうか。

 柔道「MIND」と云っても難しく、子どもたちにも理解できる方法を考える必要があると思います。取り敢えず社会生活に必要な、基本的な生活習慣を身につける指導が必要であると感じるのです。沢山のことがありますが、確実に1つずつ身につけることが大切であり、その1つとして正しい礼法を取り上げたいと思います。

 礼は相手に対しての敬意を表わすことであり、敬う気持ちであり、そのため頭を下げる動作に繋がるのです。子どもの時から身につけさせる躾として正しく教えることによって身につくものであり、まさに「三つ子の魂百まで」であるといえます。高校、大学、成長するにつれて試合で負けた場合の礼法は極端に悪くなり、不貞腐れた見苦しい態度をとっている者も多く見受けられ、観戦していても不快な気分になります。

 柔道は単に身体を鍛え、技能や強さを競い合うだけではなく、心を磨き、身体を鍛え、豊かな人間形成を目指す道です。負けても腐らず、相手を敬う気持ちを持つことが、社会秩序を保ち、相互に思いやる礼儀作法であると思います。礼節を重んじることが精神の向上や人間形成にも役立つなど、自己を高める上で柔道は非常に有意義なスポーツであると考えます。

 現在、国際的な競技として、世界各国の人々に親しまれている柔道は、単なるスポーツにとどまらず、日本が誇る文化であると云っても過言ではないと思います。その基本は「礼に始まり、礼に終わる」柔道であり、礼の心を重んじているのです。
 競技力を高める普及活動も大切ですが、それを重視する前に、人間教育の原点に戻るのも良いのではないかと思います。柔道本来の意義を見失うことのないよう、柔道の原理である「精力善用」「自他共栄」を目指して、嘉納治五郎師範の理想とする、人間教育・正しい柔道に積極的に取り組んで、一層の飛躍に努めなければならないと考えます。
(北海道柔道連盟会長)

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