青年海外協力隊奮闘記 vol.7 -エルサルバトル共和国-
2015年11月 8日
エルサルバトル共和国
藤後あさみ
初出 『柔道』平成24年11月号
■派遣国について
中央アメリカの太平洋に面したエルサルバドルは、中米諸国中もっとも小さな国です。面積は2万1041平方キロメートルで日本の四国と淡路島を合せたほどの広さです。
年間平均気温は約23℃で、5月から11月までが雨期となっていて避難警告がしばしば出されています。
伝統料理としては、ププサと呼ばれるとうもろこし粉を練って作ったものが有名です。中に具(チーズや野菜、じゃがいもなど)を入れて鉄板で焼いたもので、熱いうちに「ほくほく」と食べると美味しいです。
■略歴
鹿児島県志布志高等学校出身
平成23年に天理大学を卒業
■参加の動機
青年海外協力隊への参加のきっかけは、天理大学在学中に、フランスに遠征し、海外の柔道家たちと生活や稽古を共にしたことです。それ以来、海外で柔道の指導がしたいと考えるようになりました。また、柔道部の後輩であるラオスから留学していたサヤラット・ポンナリー選手の恩師がJICAシニアボランティアの菊池正敏氏だったことも切っ掛けの1つです。そこからJICAのことを知り、たくさん話を聞くこともできたため、2年間、日本を離れ他国の柔道選手たちの育成をしたいと思いました。
■配属先
エルサルバドル体育庁内エルサルバドル柔道連盟
■派遣国の第一印象
想像していたより、生活していく上で不自由では無いと思いました。出国前は、どんなジャングルの中に閉じ込められるのだろうと思っていましたが、首都には日本食レストランや大きなショッピングモールもあり、最低限必要なものは揃えることができます。
■カルチャーショック
〈柔道〉
着任当時、エルサルバドルでは体力トレーニングというものが行われていませんでした。日本では稽古と同じくらい重要視されていると思いますが、当国ではトレーニングの習慣がないどころか、指導者たちも選手に対して必要性を説いてはいませんでした。そこで、毎日練習前にトレーニングを行うことにしましたが、遅刻をする選手が多く、時間通りに始められないことがほとんどでした。また、最初は好奇心から来ていた選手たちも、厳しいトレーニングについていけず、次第に参加者が少なくなっていきました。しかし、あきらめずに続けたことが良かったのか、今では選手たちは時間前に集合するようになり、継続的にトレーニングが行われるようになりました。
〈柔道以外〉
発展途上国では当たり前なのかもしれませんが、裕福な家庭と貧しい家庭の格差にショックを受けました。例えば、裕福な家庭の子供は、きれいな服を着て、最新の携帯電話を持っています。しかし、貧しい家庭の子供は学校に行くこともできず、道端で雑貨を売ったり、物乞いをしたりして生計を立てています。日本では考えられない光景に、心が痛むことがしばしばあります。
■現地の柔道の状況
エルサルバドルの柔道人口は約300人で、残念ながら空手の方が流行っているようです。たまに、柔道と空手を混同している人がおり、間違って柔道の練習を見に来るくらいです。
エルサルバドルの柔道の実力については、ナショナルチーム男子は中米大会ではほぼ全員が上位入賞、全米選手権大会では苦戦は強いられるものの数名が入賞できるといったところです。オリンピックには5人が出場している実績があります。
ロンドン・オリンピックには66kg級のアラルコン選手が出場しました。彼は世界ランキングは64位でしたが、過去の実績とポイントにより大陸粋(全階級で男子13名、女子8名)で選出されました。
■現在の活動
JICA青年海外協力隊23年度1次隊(昨年6月)として派遣され、1カ月間ジュニア部門(3歳から15歳)の指導を行った後、当初の要請通りナショナルチームの指導を任され、アラルコン選手をはじめ男女6人のトレーニング・稽古を見ています。エルサルバドルには大きな道場が5つあり、私は首都サンサルバドルにあるビジャ・オリンピカと呼ばれる総合体育館(他競技の練習も行われている)で月曜日から土曜日まで教えています。
ボランティアという立場を活かし、道場にいる間は少しでも選手たちと雑談をしたり、相談に乗ったりしています。さらに、乱取稽古には積極的に参加し、毎日選手たちの柔道を見ています。指導者とはいっても、見ているだけでは実際の選手のレベルを把握することは難しいので、日々のトレーニング・稽古を通して選手と一緒に汗を流すようにしています。
また、より多くの人に柔道を知ってもらうために、9月から子どもの指導にもあたり、各地で柔道教室やデモンストレーションを行う等、柔道の普及活動にも積極的に力を入れています。
■1番嬉しかったこと
教え子のオリンピック出場の報告を聞いた瞬間とオリンピックへの同行です。昨年の9月から当国ナショナルチームの指導を任され、ロンドンオリンピックの出場を果したアラルコン選手とは2人3脚で稽古に取り組んできました。慣れないトレーニングに何度も挫折し、言い合いになることもしばしばありましたが、稽古後に自主トレーニングを始めるなど、少しずつ彼の柔道に対する取り組みが変わっていきました。また、当国のナショナルチームは少人数であり、稽古を行うにも適切とはいえない環境です。その中で、真摯な態度を失わず、彼なりに努力して手に入れたオリンピック出場権でしたので、出場の報告を聞いた時は、本当に嬉しかったです。また、オリンピックの同行も、私にとって、とても貴重な経験となりました。選手にとってこれまでの柔道人生の集大成ともいえる試合において、近くでサポートできたことにとても感謝しています。
■1番辛かったこと
当然のことですが、当地の指導者たちは、それぞれに自分の指導スタイル、柔道に対する考えを持っており、ナショナルチームの指導を任されるようになった頃、私がボランティアの立場であり、また年齢も若く、女性であるということもあってか、衝突が起こることも度々ありました。
言葉の壁から、言いたいことがうまく伝わらず、なかなか自分の意見を聞き入れてもらえない辛い時期もありました。しかし、支えとなったのは、これまでの経験であり、ここで指導をしている選手たちの存在でした。時には、怠けた態度に注意をすることもあり、腹の立つこともありますが、ここまでやってこられたのは、選手たちがいつも私に尊敬の念をもって接してくれること、そして、選手たちの柔道に対する姿勢が、着任当初よりも格段に良くなってきているという実感が持てるからです。
■今後の目標
帰国後は、大学院に進学し、さらに柔道についての知識を修得するとともに、選手の育成法や柔道の教授法を本格的に学びたいと考えています。その後は教育者として、たくさんの選手を育て、母校である天理大学にも恩返しをしていきたいと思います。
■最後に
海外で柔道を教えることの楽しさを挙げるとすると、やはり言葉がなくてもコミュニケーションがとれることが一番だと思います。もちろん、指導をする上で現地の言葉は欠かせませんが、柔道は世界共通で、一度組み合えば相手と通じ合える気がします。そこが楽しみであり、魅力であると思っています。今後もその柔道の素晴らしさを伝えていければと思います。
(平成23年度1次隊)
■帰国後、現在の藤後さん
この記事は、講道館発行の機関誌『柔道』に掲載された記事を加筆修正再編集したものです。
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