青年海外協力隊奮闘記 vol.3 -マダガスカル共和国-
2015年8月 7日
マダガスカル共和国
渡辺和也
初出 『柔道』平成23年12月号
■マダガスカル共和国についての基礎知識
人口1960万人(2007年)。面積は日本の約1・6倍で、首都は中央高地に位置するアンタナナリヴという都市です。マダガスカルはアフリカ大陸の南東に位置し、この国にしかいない動植物がたくさんいて、インド洋にたたずむ秘境の島といわれています。
もともとの先住民は、東南アジアなどから渡ってきた人々だといわれ、"アフリカに最も近いアジア"といわれています。かつてフランスの植民地だったことからヨーロッパ的な香りも漂っており、アジア、アフリカ、ヨーロッパの文化が交差する非常に興味深い国でもあります。
■略歴
白鷗大学足利高等学校出身
平成21年3月東海大学卒業
■参加の動機
中学校から大学まで柔道をやらせてもらい、今までやって来た柔道を終わらせるのはもったいない、この経験を何かの形で生かしたい、そう思って協力隊に応募しました。また、中学校時代にオーストラリアへ1週間程ホームステイをした経験から、海外の文化に興味を持っていました。そんな中で、やはりアフリカに興味を惹かれた部分があり、マダガスカルという国の文化や、アフリカで行われている柔道はどういったものなのか、というのが知りたかったのも参加の動機です。
■配属先
柔道クラブ Fruits et Nature(フリュイ エ ナチュール)。フランス語で「"果物"と"自然"」という意味があります。
■マダガスカルの第一印象
周りにいる人が肌の黒い人ばかりだったので、遂にアフリカに来たんだということを実感しました。しかし自分が思っていたほど黒くなかったのが意外でした。
マダガスカルには信号機がなく、朝や夕方はひどい渋滞があります。首都は意外とゴミゴミしており、車同士や車と歩行者との間隔が非常に近く、何度も危ないと感じるような経験をしました。歩行者ではなく自動車が優先ということに最初は戸惑い、驚きました。
■現地の柔道の状況
私は地方都市への配属でしたが、配属先柔道クラブは以前あった柔道場がサイクロンで倒壊してしまい、ちゃんとした道場がありませんでした。そこで市役所の地下に場所を借りてそこに畳を移動し、稽古を行っていました。赴任した当初、日本では想像できないような穴のあいたボロボロの畳をコンクリートの上に敷いて稽古をしていました。また、柔道衣はたまに市場に流れてくるものしか手に入らず、ほとんどの子供たちは最初Tシャツ・短パンで稽古をしていました。空手衣やテコンドー衣などを代用する生徒たちも多く、体操、受身や回転運動から、少しずつ指導していきました。
一方で、首都にある柔道クラブはある程度しっかりした畳があり、生徒もほぼ全員がちゃんとした柔道衣を着て稽古をしていました。やはり柔道人口も首都が多く、レベルの高い選手はそちらに多く見られました。ナショナルチームの選手で60kg級と66kg級の選手は、2010年の東京世界選手権に出場(いずれも一回戦負け)しており、81kg級の選手はアフリカ選手権で準優勝するなど、最近活躍する選手も多いようです。しかし、豪快に投げ勝つ立技が好まれ、寝技が出来る選手はあまり多くありませんでした。
■カルチャーショック
〈柔道〉
畳の上に靴やサンダルで平気で上がってくること。また、裸足のまま畳から下り、コンクリートの地面を走り回って汚い足で畳に上がること。はじめはそんなことをする現地の人や子供たちが信じられず、注意する度に憤りを感じていましたが、よくよく考えれば、柔道のことを全く知らないのだから、そういうことからしっかり教えなければいけないんだ、と気付かされました。
文化の違う国の人たちなのだから日本人の常識はここでは常識ではないと痛感させられた出来事です。
〈柔道以外〉
現地の人たちの時間に対するおおらかさです。例えば、大会などで開始時間が何時からと決まっていても、大体2?3時間は遅れて始まります。抽選や畳を敷くなどの事前準備を当日の朝に行う場合が多く、時間通りに始まったことはまずありません。さらに遅れて始まったにも関わらず、お昼休憩を十分にとるため、試合が終わるのが夜の9時過ぎ、表彰なども入れると10時くらいまでかかったりします。地方で開催された大きな大会では、なぜか夜中もずっと試合を続行し、朝方までやっていたという話を聞きました。そんな現地人の時間感覚に驚きを隠せませんでした。
■現地での活動
任地の配属先クラブでは、月曜日から土曜日までの週6日、主に小学校低学年から高校生くらいまでを対象に柔道を指導していました。大人も何人かいましたが、ほとんどが柔道を全く知らない初心者で一から指導していきました。
また、私立学校の生徒たちに授業として柔道を教えたり、警備会社の大人を相手に護身術として柔道を指導したりもしました。
その他には、形の指導(投の形、固の形、極の形)も行い、クラブから初の女性初段を輩出することができました。機会がある時は、ナショナルチームの合宿や首都の柔道クラブにも赴き、技術指導を行いました。
■1番嬉しかったこと
日本へ帰国する直前に地方で柔道大会がありました。その大会へは私が赴任した当初から指導してきた生徒4人を連れていきました。そのうちの2人が相手を綺麗に投げて「一本」を取り優勝したこと。
また、形の競技会もあったのですが、"投の形"、"固の形"ともに優勝したこと。
今までやってきたことが生徒たちの身に付き、その成果が発揮出来たことに大変喜びを感じました。
■1番辛かったこと
私の任地には、配属先も含めて3つの柔道クラブがあります。配属先クラブと他の柔道クラブは稽古時間が異なるため、そちらへも指導へ行きたいと申し出ると、「やめてくれ」と言われ、指導に行かせてもらえませんでした。それぞれの指導者の考え方が異なり、仲が良くないため、マダガスカル全体の普及や地域のレベルアップを図りたい、という私の想いや考えをなかなか理解してもらえませんでした。それぞれの先生が相手の見えないところで相手のことを貶す、といった行為を目の当たりにして、辛かったと共に、とても残念な気持ちになりました。
■今後の目標
国体出場
■最後に
青年海外協力隊に参加して、改めて柔道の素晴らしさに触れ、今まで以上に柔道が大好きになりました。嘉納治五郎師範が創始した柔道が、遠くアフリカの地でもしっかりと根付いており、そこで柔道を愛する人たちに出会えたことに大変感謝しています。
また、途上国で生活した経験から日本の国や柔道の良さ、その素晴らしさを再認識することができました。しっかりとした畳がある、丈夫な柔道衣が手に入る、良い指導者がたくさんいる、こういった日本では当たり前の環境が途上国にはありません。それでも、そういった中で頑張って柔道をやっている人たちに出会うことができたのは、私の財産です。
いつかまた、マダガスカルへ行って教え子たちの成長した姿を見ることが楽しみです。そして、これからもずっと柔道に携わっていきたいです。
(平成21年1次隊)
■帰国後、現在の渡辺さん
現在は地元群馬県の館林にて消防職員として勤務させて頂き、今も現役の選手として柔道を続けながら、地元柔道の発展のために子供たちへの指導も行っております。
この記事は、講道館発行の機関誌『柔道』に掲載された記事を加筆修正再編集したものです。