青年海外協力隊奮闘記 vol.1 -モンゴル-
2015年6月23日
モンゴル
小倉 大輝
初出『柔道』平成23年8月号
■モンゴルについての基礎知識
人口267万人。首都のウランバートルは、標高1300mの場所に位置する都市で、気候的には、年平均マイナス1.3℃であり、最低気温は、マイナス40℃以下のこともあり、非常に寒さの厳しい環境です。それに加えて、洗濯物がすぐに乾いてしまうくらい乾燥しています。
■略歴
東海大学付属第五高等学校出身。 平成21年3月福岡教育大学卒業。
■参加の動機
大学最後の試合の1週間前に骨折をしてしまい、選手として悔いが残りました。そこで、軽量級の強いモンゴルで、もう1回、柔道をしたいという気持ちが一番の理由です。それから、中学の部活の先生から青年海外協力隊の話を聞いて興味があったこと、大学の先輩(※)がカンボジア隊員として活躍されているのを見て、海外での柔道指導に憧れも感じ、受験しました。
※米倉優介氏のこと。氏の活動は、『柔道』平成21年12月号に掲載。
■配属先
ナショナルチーム(60名)、モンゴル柔道アカデミー5歳から20歳(120名程度)
■モンゴルの第一印象
空港からウランバートルまでの道のりの間、大草原と放し飼いの動物たちに圧倒されました。話には聞いていましたが、見渡す限り草原、そこで放し飼いにされている動物に、開放感を感じたのを覚えています。
■柔道の状況
北京オリンピックで、モンゴル初の金メダル獲得(100kg級)、世界選手権でも金メダルを獲得(66kg級)した影響もあり、モンゴルで一番人気のある競技であり、競技人口も子どもを中心として、急増しています。技術的特徴としては、以前からモンゴル相撲を中心とした肩車、双手刈のような足を取る技が中心でしたが、新ルールとなり、帯や背中を持つなどの工夫をしながら、対応している選手が大半です。少数ですが、日本に留学し、日本の柔道を学んでいる者もいます。また、軽量級を中心に、世界ランキング上位の選手が多数おり、非常に競技レベルの高い国だと思います。
■モンゴル人の気質
〈柔道〉『勝てばいい精神』。例えば、反則をしようが、バレなければいいというようなことを、平気で言う指導者が多数いたことに驚き、ショックを受けました。そして、礼儀作法などは二の次といった感じで、受身でさえまともにできない指導者の多さに焦りさえ感じたのを覚えています。一方で、ナショナルチームでは、実際に乱取をしたところ、あまりのレベルの高さにビックリさせられました。
〈柔道以外〉『自分が一番精神』。開発途上国ということもあり、自分が生きていくことに精一杯な部分もあると思いますが、赤信号であろうが、止まらず、渋滞になるのは、当たり前です。時間という面では3時間遅刻は、まだ良い方で、約束の日に来ないということも多々あります。スリも多く、何度腹が立ったか分かりません。
■現在の活動
ナショナルチームは週5回オグロック講座と名付けた寝技指導を行い、その他には、実際に組んで練習し、お互いに切磋琢磨しながら、技術向上、試合に向けての対策等を行っています。モンゴル柔道アカデミーは週4回競技レベル向上以前に礼儀作法、柔道の精神『精力善用・自他共栄』という考えを中心に、人間形成を目的とした指導を行っています。
OGUCUP2011
■1番嬉しかったこと
私がモンゴルに着任して始まったモンゴル柔道アカデミーの子どもたちが、1年半という指導期間ではありましたが、講道館に遠征した際には、今まで指導したことを堂々と実践し、新たに目の前にあるお手本を参考に学んでいる姿に、指導者として、喜びを感じました。
柔道カデ選手権2011 柔道アカデミー講道館遠征の様子
上村館長と共に
■1番辛かったこと
私の教え子、打込パートナーでもあるアムラー選手(60kg級)が、アジア大会で負傷し、それでも三位決定戦に出場し、途中で負傷棄権となった時、彼の努力を知っていただけに、見ていて辛かったです。アムラー選手は、厳しい国内予選期間中に母を亡くす不幸な経験をしながらも優勝し、世界選手権に出場しました。
左:アムラー選手 右:小倉大輝氏
■今後の目標
全日本実業団(66kg級)優勝、
講道館杯(兄弟対決)
■さいごに
私は、大学時代に結果を出せず、強化選手の弟(小倉武蔵選手・筑波大学)と比べ、『俺は武蔵みたいに才能ないし、こんなもんだ』などと、勝手に決めつけ、自分の可能性を信じていませんでした。夢を一度、諦めました。しかし、今教え子たちの前で、いつも言っていることがあります。
『夢を持ち 夢を持ち続け
夢を諦めず努力し続けろ
夢は叶う 夢は叶えろ』
という言葉です。私がモンゴルで柔道を続けている中で、感じ考えた言葉です。大学卒業時の私には、こういう考え方はできませんでした。まだ、夢は叶うとは、自分自身、言いきれませんが、この言葉を証明するためにも、弟と講道館杯で対決し、私たちに柔道を教えてくれた父に恩返しをしたいと思います。
こういったチャンスを与えてくださった青年海外協力隊には、本当に感謝しています。そして、文化も習慣も違う場所で、いろいろな困難があり、任期短縮を考えたこともありましたが、今では、何の後悔もありません。普通では体験できない、世界ジュニア(パリ)、世界選手権(東京)にもコーチとして参加でき、本当によい経験ができていると感じています。今後は、これを日本で還元できるように、教員の道に進んでいきたいと考えています。(平成21年度1次隊)
■帰国後、現在の小倉さん
帰国後は、筑波大学大学院に進学をし、現在は、私立久留米大学附設中学・高等学校で保健体育の教員として勤務しながら、柔道部顧問をしています。附設柔道部では、モンゴルでの経験も生かして、本校の建学の精神でもある国家社会に貢献できる人間育成を目標に指導を行なっています。
そして、帰国した今でも平成23年に始めたOGU CUPが平成25年にも開催されたり、当時打ち込みパートナーだったアムラー(Dashdavaa Amartuvshin)が平成25年世界選手権リオ60kg級で銀メダル獲得をしたりと、帰国して4年経った今でも選手たちと交流が続いていることが、私の自慢の宝物です。
最後に、当時モンゴルで一緒になった隊員と昨年結婚をし、今年2月には長男元輝が生まれました。長男の名前は元寇の「元」とモンゴル語の挨拶でよく使われるサイノー(元気ですか?)から名付けました。いつか息子とモンゴルに行き、柔道衣を着て、教え子たちと乱取りをした後に、羊肉を食べるのが、今の新たな夢です。夢は叶います!!
この記事は、講道館発行の機関誌『柔道』に掲載された記事を加筆修正再編集したものです。